僕が見た夢は君がいつか見た夢

髪を切って風邪が悪化。
微熱で一日中頭がぼーっとしていた。
熱で頭を少しやられたのかもしれない。
いつも以上にヘラヘラ笑っていたら、
「頭の中春でいいかんじやな」
と、同僚に言われる。
喉が痛いのは辛いけど、微熱は悪くない。
ひゅるひゅると、
言葉のかけらや、情景が降ってくるのだけど、
だからといって特に出していくわけでもなく、
わたしだけが見た風景ということで、
わたしの肥しとなっていく。
世界は、ああなって、こうなって、
こことこことが繋がって、
そしたらあそこはこうなって、
つまりあの時起きた事象は必然で、
だったら次に起こるのはこういうことかもしれない、
なんて事をとうとうと考える時間は悪くない。
もちろん未来は予想できないし、
何が起きるかなんて見当つかないのだけど、
それでも、出会ったことは必然であると捉える事により、
世界は簡単に深まるし、おもしろくなる。
私はいつだって、あえて逆境を選ぶし、
どんな状況に陥っても、愚痴も言わずに、
自分が最善であると思える事をこなすだけなのだ。
それだけの、力や冷静さや人としてのキャパシティみたいなものを、
持ち合わせているのかと言えば、
よくわからないけれど、現状把握能力だけは、
失いたくないといつも思う。
ぐっと息を止めて、真空状態で世界を覗けば、
人々の様々な模様が見える。
グネグネと蠢いていて、伸びをしたり、縮こまったり、
どこまで見えて居るとか、居ないとか、
理解する速度が遅かったり早かったりとか、
人には本当に色々なパターンがあり、
交じりあったり、反発しあったりする。
全ては最初から決められていて、
成長する速度、何かと出会って変化する瞬間、
人生におけるそういった物事はすべて産まれる前から決められていて、
つまり、人はどこまでも不自由で、
どこまでも自由なのだ。
もう、わたしはわたしではなく、
単なる一部分であると気が付くとき、
どこまでもいける。
何も感じられないときも、
何かを見ているときも、
全ては自然の中にいる。
そんなことを、いつもだいたい考えていると、
変なのが寄ってくる。
もしくはもう何者かに乗っ取られているのかもしれない。
さっきネットで見つけたありがたい言葉で締める。
“直感を大切にするということは、
自分という自然を信じることだ”