音楽、その神なき宗教性

こないだビレバンに行ったとき、
『真夜中』という雑誌を立ち読みした。
そこに、様々な文筆家や音楽家が文章を寄せており、
パラパラとめくっていると、
SNOOZER編集長田中宗一郎氏が、
“音楽、その神なき宗教性”
というとても興味深いタイトルで言葉を綴っていた。
内容もとても素晴らしかった。
タナソウが音楽というものを、どういう風に捉え、
どういう風に考えているかを、一部分ではあるだろうけど、
明確に知ることが出来たように思う。
と、同時にそれ以上の何かも。
以下抜粋。
「そもそも信仰とは、至極乱暴に言うなら、
何かしら絶対的なものに献身を捧げることであり、
それと引き換えに心の平静を獲得することだ。
それゆえ、それは同時に、何かしらの呪縛でもあり、
信仰の対象以外のすべてをその下位に置くことでさえある。
だが、聴き手にもたらす最良の効果とは、
ある意味信仰がもたらす効果とは真逆のものだ。
では、そもそも音楽という目に見えない空気の振動に、
人が感情を震わせ、そこから何かしらのカタルシスを得るのは何故か?
その理由は、音楽、つまり、いくつかのパルスの連なりとは、
常にある一点に留まることなく変化し続ける、
その渦中にのみ存在するからだ。つまり、音楽を聴くという行為は
今まさに存在した音を喪失する連続を体験すること
(略)
それゆえ、理想的なシチュエーションにおいて、
音楽は聴き手からあらゆる社会的な属性を剥ぎ取り、
そのことによって、聴き手を完全な自由へと解き放つ。
そうした効果がゆえに、人は音楽からカタルシスを得る。
しかも、それは、音が鳴り止んだ瞬間に、
あっとう間に立ち消えてしまう類の瞬間的な救済なのだ。
永続的なものは何をも保証しない。だが、それゆえ、
聴き手は、瞬間を生きることを手に入れる。
自らの死の間際まで。」