わたしの中にある自然

私の中にある自然を大切にしようと最近おもっている。
考えでもない、思想でもない、言葉でもない。
どうにもならない、大きな川のようなものがあり、
それに飲み込まれていく快感がたしかにある。

暑そうに日陰でぐにゃりとしている猫をなでる。
ふと思う。
永遠ってこういう事なんだ。
この感じに常に触れてまめに表に出すことが、
私がしたかったことかもしれないなぁ、
なんてことを思ったりした。
でも、それにしがみついたり、
追い掛け回したり、執着したりすると、
それはどこかにするりと消えていってしまう。
ただ、のん気に、ぼんやりと、
曖昧であやふやなこの感覚を、
私は大切にしなくてはいけないと思った。
 
実はそれは難しいことだ。
そんなことをして居る人は滅多いない。
でも私の中にある自然はそういう風に流れている。
今のところ。

ああ、言葉が空洞化する。
シャボン玉のように、軽くて、ふわりと宙を漂い、
儚くはじけてゆく。
言葉ってそういうものでいいのかもしれないなぁ。
言葉だけではない。
人間だって、そんな風に曖昧で、不確かで、頼りなくて、
儚い生き物なのだ。
くだらない事に脅えたり、不安になったり、
怒ったりしている場合ではないのだけど、
そういうものも全部自然の中の一部分だということは、
意識していくつもりだ。