言の葉で遊ぶ女

今日も何の因果か仕事を休む事になった。
ここのところずっと休んでいる。
今日で3日目だ。
私はこの流れを分析したいと思い立ち、
こんな風に久しぶりに言葉を紡いでいる。


私がブログを書かなくなったのはいつ頃だろう。
前回書いたのは6月8日。
2ヶ月以上書いていない。
私は言葉を書く必然を感じなくなった。
それは坂口恭平という男に出会ったからではないかと考える。
(実際出会ったわけではなく、本やネットを通じてだけど)
私と彼とは同じではない。
しかし彼はこの世の生きる事の苦しみも楽しみも、
かなり深い部分で味わっていて、読むとそれを体感すること出来て、
その為に、わざわざ私が昔みたいに深く潜って考えたり感じたりする必要がなくなった、
という気がしている。
しかも同じ時代に同じ時を生きている、
というのがすごい。
昔の作家ではない。今生きている作家が紡ぎ出す言葉の影響力に、
私は凄みを感じている。
彼は人々の生きる事の苦悩も快楽も代弁しているような気がしている。
もちろんそれは全ての人間には当てはまらないのかもしれないけれど、
一部分の人間にとってはそれはもう魅力溢れる文体で魂を救っているのだ。
不思議なことに。
そう人間は言葉で音楽で魂を救うことができる。
そのことを今ひしひしと感じている。


言葉で深くに潜ること。
私はそのことに夢中になっていた時期があったし、
今もブログではないけれど、ツイッターで唐突に言葉にしてみたりしている。
たった一人で真っ暗闇を彷徨うのもスリリングで楽しいけれど、
私は最近は誰かと居心地のいい空間を創る作業も、
また楽しいという事に気付いた。
それは近所に友人が出来たというのもある。
誰かと出会い、他人と産み出す世界のおもしろさを味わっている。
都市ではなく、地方の限定された人間と一緒に、
独自の何かを産み出そうとすることで見えるこの世界の可能性。
そういうことを楽しんでいる。


そうだ。
私はまさに今人生を楽しんでいる。


そこにある徹底的な肯定感を私は大事にしなくてはと思う。
現実的なめんどくささと適当に向き合いつつ、
私はこの世界を楽しみたい。
そんな風に思っている。