現実ってなに

自分のガキっぽさにうんざりする。
どうでもいいことで、腹をたて、
どうでもいいことで、イライラして、
どうでもいいことで、ケンカをする。
そうやって、本当にどうでもいいことで貴重な人生が、
ちょっとずつ埋まってゆくのかと思うと、
気が狂いそうになる。
涙が出るほど、自分が情けなくて悔しくて、
だったら最初からそんな事しなけりゃいいのに、
多分この世で一番汚くて、みっともないであろう感情の暴走は、
一度始まったら止まらない。
次から次へと口から最低な文章が出てくる。
他人を傷つけたい気持ちは、
自分を傷つけたい気持ちと同じ。
どうして、全部がぐちゃぐちゃになるほど、
虐めたくなるのか、私にもよく解らない。
ただ、疲れていたのだろう、
という言い訳も通用しないぐらいに、
子供の頃からそういう癖がある。
自分がこういう状況になるたびに、
私は深く傷ついて、深く後悔して、
でも、自分の中の暗黒の感情の流出を止めようものなら、
精神が壊れてしまいそうな気がするので、
全てを出して何とか復活しようとするのだ。
自分はなんて最低な人間なんだ、
こんな人間は誰とも交流しないほうが、
世の中の為だと思ったりしながら、
でも、人の良い優しい部分も知ってるので、
諦めずになんとか人との交流を保ち生きている。
人は、社会生活の中で、自分の良いところをばかりを、
表に出すのが当たり前だ。
もちろん、人生のほとんどをそういうモチベーションで生き、
それを貫き通すのが自分の生き方であると、
サムライの如く生き抜く人もいるのかもしれない。
私も出来るだけそうしたいと思っている。
でも、ふとしたきっかけで、今まで保ち続けてきたポーズが、
崩される瞬間がある。
それは、単なる弱さであり、未熟な部分であるかもしれない。
そして、私にそういう部分があるのは認めざるを得ない。
一生懸命保ち続けたポーズが崩されたとき、
全てがひっくり返る。
何もかもが、ぐちゃぐちゃになる。
価値観が、思考回路が、断絶ざれ、バラバラになる。
そして、現実ってなに?
と、思う。
何とどうぶつかって、どういう方向に処理したらいいのか、
わからなくなる。
私がこれまでやってきたこと、
これからしようとしていること、
それは、正しいのか。
私の人生は、私の今の捉え方で正しいのか。
いや、人生に正しいも正しくないもなく、
ただ、個々人の情報の取捨選択、色、音、カタチ、匂い、
があるだけで、そして、それは美しいのか、
美しくないのかということだけが重要なのであり、
美しくなければ何の価値も生み出さないということで、
それが、私の今までの、そしてこれかも貫き通す、
判断基準なのだと、改めて確認する。
人間の、善も悪も、美も醜も、全てを万遍なく網羅しながら、
私は、私の世界を構築しつづけるだけなのだ。
全ての人がそうしているように。