現実とは

現実とは、ワンシーンの積み重ねである、
という結論に至る。
たくさんの場面を発見し自然と蓄積され、
私は、人間のたくさんの場面を知る、人間となる。
子供の笑顔はどうしてあんなにも澄みきっていて、
大人になればなるほど、
表情が複雑で、笑い顔が妙になっていくのだろうと、
思うことがあるのだけど、
多分、たくさんの記憶を保有して、
たくさんの感情を知っているからなのだと思った。
人は単純でなくなる。
何かひとつの情報を受け取ると、
腹の底の方でたくさんの情報に処理され、
ストレートな感情が鈍ってくる。
でも、大人でもすっきりした顔の人がいる。
たくさんの場面を知りつつ、
一番キレイな感情を選んで生きているのだと思う。
それって、実はすごいことだと思う。
そういう地味にすごいことを見つけて、
やっていきたいと思うが、なかなか難しい。
しかし、人間の本質は子供の笑顔にあると、
私は信じている。
そう思わないとやりきれない部分が多々ある。
まぁ、子供でも、嫌な子供はたくさんいるけど。
俵万智のエッセイを新聞に見つけて、
なんとく読んだら、こだわりのメガネ屋の話で、
「ほー仙台にも、こだわりのメガネ屋があるんだなぁ」
と、感心した。
こだわりのお店は、実は地方に多いのかもしれない。
それから、俵万智ってまだ生きてたんだ、なぜか驚いてしまった。
というのも、小学生の時、教科書に出てきた人で、
もう生きていないか、おばあさんになっていると、
思ってたので、意外とまだ若いことを知り、
これまた、驚きであった。
しかし、俵万智の感じはなんとなく好きなようで、
好きでない。
それは、江国香織や、角田光代などの、
女として無難で、安心感のある世界に埋没している、
その姿勢にどうもうんざりしてしまう、という点にある。
(もちろん世の中には、そのような女の感覚が持つ安心感や、
安定感が必要で、文章を書くことにより、
そういう社会的役割を担っているという事実は認めつつ。)
江国香織が、芥川賞の候補にあがった中原昌也の作品を
審査する際に、全部バツをつけたという
逸話に、「ああ、やっぱり」と、
とてもつまらなく思ったのだ。
そうはなりたくない。
そういうつまらない女だけにはなるものかと、
妙な反発心を覚えたものだ。
しかし、それぐらいかっちりとした世界を構築して、
その中で、生きていけたら楽だよなぁとも思う。
楽だと思いつつも、私には真似できない世界の構築方法だけど。
だって、つまらないもの。