さがしもの

人って何のために生きているんだろう、
と考えた時、
やはり、何かを探し回っているのだと思う。
意識していなくても、
無意識が探している。
あれでもない、これでもない、
と探していて、
「これだ!」とひらめいてみても、
しばらく付き合ってみたら、
やっぱり違っていて、
ウロウロと世界を這いずり回る。
答えはすぐには見つからない。
産まれながらに見つかっている人もいれば、
見つからないまま死ぬ人もいる。
その違いはなんだろう。
神様のイタズラか、意地悪か、差別か、偏愛か。
私が知りたい事の、その先に君はいるのか。
それとも、
君が知りたい事の、その先に私がいるのか。
きっと、その両方。
君という生き物の、その思考回路、世界、性格から、
受ける印象に、何の新鮮味も感じられず、
今後、ただ私を退屈にし、そして寂しさを与えるだけの、
存在になりうる可能性も含みつつ、
それでも私に愛を語り続ける勇気であり、度胸はあるのか。
今、この瞬間、確かに必要であっても、
数秒後、数時間後、数日後には、
綺麗さっぱり要らなくなる可能性がある、
という、その永遠の不幸に胸を痛めながら、
私は、愛という、その不確かな存在について思い巡らす。
そういった、諸々のことを考えながら、
それでも、ケチくさいことはしたくないという結論に至る。
つまり、私はただただ不安で、
あまりにも臆病で、自分の事も他人の事も、
まるで何も解っていない、子供なのだ。
全てが妄想で、想像で、確かなものが何もない。
しかし、確かなものでないものを、
心の底から信じ切る、恥知らずな傲慢さや、
キチガイじみた信仰心がなければ、
この世では何ひとつ成すことはできない。