死んで生きる人

マイケル・ジャクソンの映画がもうすぐ公開する。
テレビでもちょくちょく見る。
彼のパフォーマンスはほんとに
鬼気迫るものを感じ、
彼にさほど関心がなかった私のような人間でも、
すごいなあ、と感動する。
人は生きてる時よりも、死んだ後で、誰かの中で生き始める、
という事も多々ありうるのだろうと思う。
NHKの知る楽という番組をみる。
西加奈子という作家が太宰治を語るという内容だった。
今回三回目で、一回目が角田光代
二回目が辛酸なめ子、4回目が田口ランディ
というラインナップ。
一回目と二回目を見逃している。
角田光代は、太宰を、『ロックな作家』と表し、
辛酸なめ子は『モテる作家』と語っている。
太宰の多面性を感じられ、興味深い。
ちなみに、今回の西加奈子という作家は、
『おもろい作家』であると語っていた。
太宰治も、死んでからも生きている人間のひとりだ。
私達は生身の太宰を知らないから、勝手に妄想が広がり、
それぞれの中で、ひとりの人間が育つ。
そして、その人間と対話する事により、
私達は、人生の何かをそれぞれのカタチで受け取る。
文学とはそういうものなのだと思う。
朝、通勤中に車の中で聴いていたラジオから、
突然流れてきた曲に、ぐっ、惹きつけられた。
全然知らない人だし、そんなに良い曲とは言えないのだけど、
彼はこんな風に歌っていた。
『楽しい事はたくさんあるし、
争い事もないし、未来に可能性もあるし、
何不自由なく暮らしている。
死ぬのも怖くない。
ナイチンゲールのふりも出来るぐらいに、
平和で幸せだ。
だけど、ヘルプミー』
ヘルプミー。
本当に私達は複雑な時代を生きているのだと、
実感する。
人間が過去も未来も現在も、
絶対に逃れる事の出来ない、
根源的な、この“ヘルプミー”という叫びに、
いかに耳を傾け、的確に表現し、救い続けることが出来るのか、
という部分が、表現者が背負い続ける義務なのだろう。
人間から“ヘルプミー”がなくならない限り、
音楽も小説は求められ続ける。
つまり、音楽も小説も決して死に絶える事はないのだ。