どこまで行けるか

生きてるうちにどこまで行けるのだろう、
というようなことを考える。
というのも、ずーっと私は底にいるから。
ちっぽけで、醜い自分を見続けてるから。
そんなことして現状が向上するのかと言えば、
そんなことはなく、相変わらず肌は荒れてるし、
ほんとに息苦しい。
矛盾だらけで、残酷で、生きるのが下手くそな自分に、
ほとほとうんざりしている。
気持ちがいつもガサガサしている。
素晴らしいイメージが思い浮かばない。
世界は溢れ出て来ない。
明るい音楽が聴けない。
自分がどんどん小さく、ぎゅっと固まっていく
様子がわかる。
どうしてそんなことをするのか?
と、人に聞かれても、よく解らないとしか答えられない。
私という人間のレベルはいまだそのような
段階なのであり、その段階をあげる事が課題なのだろうけれど、
結局同じ所をぐるぐる回っているだけのような、
気がする。
前向きで明るく愛に溢れいつもニコニコ笑っているような人間を見ると、
不安になり、引け目を感じて、
素直にいいエネルギーを受け取れない。
その受け取れてない自分の弱さや小ささ頭の悪さを悟り、
さらに落ち込むという負のスパイラル。
才能のある人というのは溢れでる世界がある。
その世界を世の中にふりまきエネルギーを与えるのが
その人の使命なので、それで正しい。
でも、世の中には素直に育ってない人がいて、
ひねくれたり、ひがんだり、羨んだりして、
不幸な気持ちになる人がいる。
本当に損で、馬鹿馬鹿しい話しなのだけど、
なぜか世の中はそういう仕組みなのだ。
そして、才能ある人はそういう仕組みであることも、
理解しているので、己の世界を貫き通し、
きちんと少し傷ついてから、きちんと世の中に愛を振りまく。
私は世の中を気にしすぎなのかもしれない。
気にしてもいいけど、それをまるで自分の事のように、
重ねてしまう癖はもうそろそろ辞めた方がいいかもしれない。
でも辞めることができない。
なぜか。
魂の癖だから。
たくさんの魂に同調して、一緒に苦しむ。
お風呂の中で、目を塞ぎ、耳を閉じた。
自分の心臓の音だけが聞こえてきて、
妙な安心を覚えた。
これから布団に入って、目を閉じて、
私は、ゆっくりと、眠りにつく。