暴力が正当化されるとき

この世で私が一番激しい怒りが込上がる事は、
男の女に対する暴力に対面したときかもしれない。
何の因果か、昔付き合っていた男、友人、家族、
男の暴力を受ける機会が、
何度かあった人生だったけれど、
何度思い返しても、気が狂いそうなほど、
腹がたつ。
しかも男は自分の暴力を正当化する。
「口応えするお前が悪い」というような。
それか、酒のせいにしたりする。
周りの人間も、まぁしょうがないよね、
という雰囲気になったりするのがまた信じられない。
ふざけんな、と思う。
そういう、個人の日常的な些細な男の暴力の延長線上に、
戦争があるのだと思う。
戦争が起きてたくさんの人達が死ぬ。
それも、全てしょうがないのだ。
戦争を始めるのは男だ。
女が始める戦争なんて聞いた事がない。
それから、セックス。
あれだって男の暴力のひとつだと思う。
ただ、欲望を満たしたいだけの行為。
相手の気持ちなんて考えちゃいない。
結局、女は男の欲望の捌け口なのである。
女は女でしたたかだから、
自分の子孫を残す、結婚する、家庭を持つ、
という欲望と、
恋愛という少女漫画やメロドラマによって
長年刷り込みされた儚い妄想を、
実際に自分の人生にもたらす為に、男の欲望を利用する。
「子供ができたから結婚して」
なんて、女が男と結婚するための作戦に決まっている。
結婚詐欺みたいなことは、
あちらこちらで起きてるけれど、
だいたいそんな事は笑って済まされている。
暴力であり、セックスであり、
結局は男の欲望塊なのである。
それを満たすために女が要る。
それだけだ。
とは、言えないけれど、
もちろん物事のすごく極端な見方であることは、
重々承知しているけれど、そういう側面も
あることは否めない。
そう言えば、村上春樹の小説は、
暴力とセックスがとても美しく描かれているんだっけ。
結局の所、文学のできることは、
人間が絶対に逃れる事のできない、
湧き起こる欲望をいかに美しくかつ気持ち良く浄化させてやるか、
ということなのだろう。
ちなみに、国家や政治や会社や経済だって
男が征服欲を満たすために作ったシステムだ。
この世は支配したい気持ちと、
支配されたい気持ちが、交錯している。