共同幻想

吉本隆明氏の著書に『共同幻想論
という本があるけれども、
私はここのところ共同幻想というものに、
思い巡らしている。
私が思っている事は、全て私の幻想だ。
誰かのことを思う時、私はわたしの幻想の中で誰かの事を思う。
実際の人物から大きく外れていようと、
私は私の気持ちが良いように他人を解釈するだろう。
そういう事が日常のあちこちで当たり前のように生じ、
頻繁に見受けられる。
それによって当然の如く起こる矛盾、隔離。
私は苛立ち、この世と他人を憎む。
見当違いも甚だしいが、私はそうなる。
時々、幻想と幻想の隙間でぽっかりと開いている、
真っ暗闇の穴に落ちる。
ふっ、と真実が見える。
人はなんて滑稽で、ちぐはぐで、心もとない世界を
生きているのだろうと思う。
ちょっとした事がきっかけで、
幻想は脆くも崩れる。
ガラガラと音を立てて、世界は簡単に滅びる。
しかし人は凝りずに、何度でも世界を建て直す。
夢をみる。
幻想を抱く。
他人に強要する。
自分にとって、自分が一番正しいのが正解である。
しかし、行き止まるだろう。
世界はそれ以上広がる事はない。
結局、私は他人の妄想を頼りに生きているのだと思う。
他人の妄想が栄養で、
夢から夢へと渡り歩く。
他人の夢の中で生きる。
人として何かが欠落している。
そして、何かが無駄に発達している。
私には、私という自我が存在しない。
他人の現実という夢の中に登場する私が、
私なのだ。
私が思う私など一番私とかけ離れている。
もうそろそろ、私という幻想が、
とある人の世界から消える去ろうとしている。
嫌な思い出としてデータが書き換えされて、
私は記憶のごみ箱に捨てられ、
これから、滅多に思い出されることもないのだろう。
そんな風にして、私は色んな人の人生という夢に登場し、
今日も誰かの夢の中で生きる。