眩暈

ミラン・クンデラ
『存在の耐えられない軽さ』を読み終える。
たまたま、なんとなしに手に取った本だったのだけど、
想像以上におもしろかったし、
ちゃんと今読みたい文章が盛りだくさんだった。
やっぱり精神的に窮地に追いやられたときに、
心の底から求めているものと
偶然出会える運のようなものには恵まれているな、
と改めて思う。
もしくは、精神的に追い詰められすぎていると、
目の前に現れたものは、
どんなものでもまるで啓示のように
受け取ってしまうように、人は出来ているのかもしれない。
哲学や宗教や歴史や政治だけではなく、
ちゃんと人間の超個人的で普遍的な命題、
愛や性についても考察されていて、
というか、ただ真実が淡々と語られていて、
小説家の真の仕事とはこういう事なんだろうな、
という気がした。
しかもこの小説がすごいのは、
音楽のように組み立てられていて、
結構長い小説なのに、リズミカルに、
飽きることなく読めるのだ。
“向上に伴う眩暈”という言葉などに、
かなりぐっときた。
『向上を目指す人間は必ず眩暈が起きる。
眩暈を起こした人間は落下したがる。
それは、弱さだ。』
というような事が書いてあって、
それは、今まで出会った事のない言葉なのだけど、
どこかで感じていた事だったので、
胸がすっ、とする思いがしたのだ。
そんな風に、すっ、とする瞬間がたくさんあったので、
文章への信頼をクンデラ氏によって
より強固なものにしてもらったような気がする。
他にも、女が弱さを顕示して、強い男を弱くしてしまうことや、
一人の女を愛し続ける事が出来ない男の精神構造の
一部分がとても鮮明に描き出されていて、
本当に今知りたいことが書いてある
すばらしい本だった。
他のクンデラの本も読んでみようと思う。
人間という宇宙や、普遍を探りたい欲望が
再びメラメラと湧いてきた。
何かを失えば、何かを得る。
時期が終われば、時期が始まる。
世界は実に巧妙に創られている。
すべらない話を観ているけれど、
やはり小藪千豊が好きだということを、
再確認する。