恋する乙女

今日は本をべらぼうに読む。ぜったい。まじで。
女の子は恋をすると可愛くなるとか言うけれど、
それは当たっている反面、
ちょっと違う部分もある。
つまらなくなるのだ。人として。
このつまんなくなっちゃう仕組みは、
多分、女という生き物がこの世に発生して以来、
脈々と受け継がれているように思う。
山岸涼子の『日出処の天子』という漫画に登場する、
ゲイの聖徳太子がこう言う。
「恋をした巫女はただの女だ」
この“ただの女”という言葉が
私にとってどれほど怖ろしいものか。
ただの女。ただのメス。ただのメス豚。(←これは言い過ぎ)
ベッキーがしきりに、
「私、恋はしないって決めてるんです」
と、テレビでアピールしているけれど、
それは、女にとってどれほど恋という媚薬によって、
自分を狂わされてしまうか知っているのだと思われる。
恋はやってる最中は最高に楽しいけれど、
その間、なにか重大な問題が置いてけぼりにされている気がして、
それが本当に嫌で、それは怒りに近い感情である。
だから、私にとって恋とは、
幸福感と絶望感の両方をもたらす、
とてもやっかいな現象である。
対象をむりやり脳内から排斥するぐらいで
ちょうどいいバランスが取れるのだけど、
その際にたくさんのエネルギーが必要なので、
いつもより疲れるのだ。
恋をして痩せるのはきっとそのせいだろう。
そして恋をするたびにこう思うのだ。
「もっと強くならなくちゃ」と。
引っ張られちゃいけない。
すぐに揺らいではいけない。
きちんと自分の足で大地にたたてねば。
ベッキーさんを見習って、今日も何かおもしろいものはないかと、
くんくんと嗅ぎ回ることにする。