とびっこの存在感

今朝車を運転しながら、
「とびっこの存在って絶妙だなぁ」
と、ふと思いつき、
家に帰ったら、とびっこについてネットで調べてみようと、
今日1日の目標が朝から決まって、
意気揚揚と出勤したら、課長に呼び出され、
フィードバックなんてものを突然したのだけど、
課長曰く、与えられた仕事をこなしているに過ぎない、
という駄目出しを言われた。
いいじゃん。
与えられた仕事こなしてんじゃん。
頑張ってんじゃん、あたし。
と、瞬間的に心の中で自己肯定したのも束の間、
もっと、先の事も考えて要領よく仕事しなさいとの事。
10分の仕事を8分でこなしたりとか。
そういうことらしい。
でも、私多分これ以上事務処理能力あがらないっぽいなぁ、
と、最近すでに自分の仕事力に自分で限界を設けているので、
そんな気持ちを持ってしまっている以上、
10分を8分にすることは出来ないだろう。
ミスが増えてもいいって言うならやるけどさ。
と、心の中では終始強気な態度だけど、
課長の前では、はいはいと、いちいち相槌をうって、
ちょっと落ち込んだ風を装って、
弱気な新人事務員を演出し、
上司の機嫌を損ねないように、伺う私。
が、多分ちゃんと滲み出てるんだろうな、
横柄なところ。
そもそも、私は労働に関していうと、
これまで与えられたものを、ただこなすという
スタンスで生きているので、
それ以上のことを求められても、想像力が働かないというか、
徒労感をたっぷりと感じてしまって、動けなくなる。
高校の時も、学校のテストは頑張ったけれど、
模試とか、受験勉強は全然ダメだった。
勉強できる風だったけど、
ただテスト前の集中力を人よりもあげていたと言うだけで、
頭よくもなんともないと思う。
無目的にテストを頑張ってみたおかげで、
塾や予備校も通わずに、無試験で大学に入ることができたけれど、
大学では、終始ぐだぐだして、みんなと適度に遊んだり、
なんにもしなかったり、とにかくヒマを持て余していたような、
感じで、のんべんだらりん時間が過ぎていった気がする。
なんかしなくちゃ、
と若者らしい焦燥感に駆られる時もあったし、
今でも時々、湧き起こるけれど、
なんか、やはり昔とは感じが違う。
人は日々変化しているのだと思う。
これまで変化し続けてきたように、
これからも変化し続けるのだろう。
微妙な変化を繰り返している他人の気持ちを、
どうして人生の軸に設定することができるだろう。
それでも、多分産まれてこのかた変らずにそこにある部分が、
極僅かながら人にはあって、そこを見極める旅みたいなことを、
日々しているのかもしれないと、ふと思った。
ウィキペディアより抜粋。
とびっことは↓
【とびこの軍艦巻きとびこ(飛子)とは、魚卵加工食品の一つ。
とびこはトビウオ(飛魚)の卵を塩漬けにしたもの。イクラより小粒で透き通った黄金色の小さい球状の卵の集合体である。サイズは個々の卵のおよその直径で1ミリ前後、皮が固く、噛むと粒がはじける感触を楽しめる。おもに寿司のネタとして利用され、ちらし寿司や軍艦巻きで食べられる。
とびこ」のほか「とびっこ」の表記もあるが、こちらは水産加工会社のかね徳(本社・兵庫県芦屋市)の製品として商標登録されているため、「飛卵」(とびらん)のような表記で売られていることがある。
なお、代用品としてシシャモの卵を使用した「ししゃもっこ」がある。】
ししゃもっこって一体。