チャット日和

久々にチャットをやった。
チャットをやっていると、
バス男』という名作を思い出す。
日本の電車男よりも、
もっと根深いオタク臭がして
私はとても好きなんだけど、
あんまり解ってくれる人はいない感じの映画。
チャットで1日潰せる気がしてきて、
チャットの魔力にやられるところだった。
今の時代、チャットよりもブログよりも
ツイッターなんだろうけど、
ツイッターのノリには今いちついて行けない。
なんでだろ。
フォローしたり、フォローされたり。
なんかそういうのが嫌なのかも。
フォローって。
誰にもフォローされなかったら
生きていけないし。
ブログもチャットもツイッターもやってる
強者もいるんだろうな。
コミュニケーションってなんだろうね。
本に乗ってる言葉と、
ネット上に散らばってる言葉は
どう違うんだろう。
書く側の気持ちかな。
ネット言葉って言うのがあるそうで。
私なんか人に伝えようとか、そういう気持ちに欠けてるから、
バラバラとしてる雑然とした文章になりがちなのだけど、
ただ、うわーって言ってるだけで、
それが誰にどう受け止められようとどうでもいいやとか
思ってたりしてるようで、日本一赤裸々なブログとか
揶揄されると、あーあたしなにやってんだろう、
人に笑われるようなことして、死にたい、
とまでは思わないけど、なんかお腹のあたりがムズムズして、
不快になるのが嫌だ。
嫌ならやめればいい。
が、そうはいかない。
なんでか。
結局のところ「沈黙なんてクソくらえ」なんだとおもう。
つまんないけど、そんなところなんだろう。
今日は、切り替えが肝心、
と思った。
あっちの世界と、こっちの世界。
私がのびのびする時間と、縮こまる時間。
そうやって、深呼吸するみたいに、繰り返しながら、
私が私というリズムを刻んで命を営んでいる。
全部をごっちゃにして、捉えようとするから苦しくなる。
ここはこうだから、こういう仕組みで、こうなって、
今私はこんな気持ちで、だからこうしよう、
っていう風に一個一個きちんと自分の中で整理して、
やっていったら大概の事は、
するりとこなしてゆける。
落ち着いて、じっくりと物事を見据える。
ぐっと深く潜って、辺りを見渡す。
すると世界は浮かび上がる。
まるで時間が止まって、自分だけが動いているみたいにみえる。
私は潜る。
深く深くどこまでも。