それはただの気分さ

久々にスーファミのカセットを
ふーってやる人をみた。
もう一生そんな風景観ることないと思っていたので、
ちょっと泣きそうなぐらい感動した。
子供の頃から培ってきた些細な経験、
楽しかったこと、夢中になったこと、
そういう事に無駄なものは何ひとつなく、
私という人間を形成する一部分としてそこにあって、
きちんと役割を果たしているんだな、
と思った。
そんでなんかもういいのかなって思ったり。
ここで言うもういいのかなっていう感覚は、
もうこの世の不具合な部分を凝視したり、
自分で自分をわざと痛めつけたりして、
強くなろうとしたり、大きくなろうとしなくても、
いいのかもしれないなという事だ。
人生には“そういう時期”というものがある。
能天気に暮らせる時期。
闇雲に深刻になって、とことん自分を追い詰めて、
ストイックになる時期。
それは自分の意思に関係なく人生に起こる。
身長が伸びるのを誰にも止められないように、
心の変化も誰にも止める事はできない。
誰かと出会って何かが確実に変ったりするのも
誰にも邪魔する事は出来ない。
そんな風に世界は誰の思い通りにもならない。
私は色々とものを考え始めてからずっと、
いちいち何かを考えていないと空虚な気持ちになってしまう
そんな人間になっていた。
考える事がなくなると、とたんに落ち着かない。
しょうがないから、宇宙の起源とかこの世の仕組みなど、
絶対に答えが出ない物事について
考えたりすると不思議と心が落ち着いたものだ。
でも、もはやそんなこともする必要もないのだ。
今、本当に必要なことは、言葉にならない領域に心を沈めること、
そういう感覚なのかもしれない。
言葉に変換する事で解った気にならないこと。
ただいつも響いているリズムを見失わないこと。
そういう事がいつもうまく出来ていたら、
人生はきっとそれで充分なんだと、
なんとなく私はそう思う。
気分はなんだか高木正勝さんの音楽。
高木さんの音楽の気分は久しぶりだ。
この人の曲は美しすぎて聴けない時期もあった。
でも今はまたちゃんと聴ける。
音楽は自分の心を示す一種のバロメーターになりうると、
つくづくそう思う。


『知っとこ!』に出演とかしてるし。