私は知っているのか知らないのかという問題について

昔、人から「君は知っている」と
言われた事がある。
知っている事をなぜあなたは知っているのだろう、
というような事を思ったのか思わないのか
よく覚えて居ないけれど、
私は確かに何かを掴むコツを人より得ている
という妙な自信がある。
それは人より仕事が出来るとか、家事がこなせるとか、
そういうものとは無縁の世界で、
ただふとした瞬間に内側に沈没した時に見える何かというものはある。
しかしその見える何かというものは、
大概人もみているものであって、
私が特別だとかそういうものでもない気がする。
ぐんぐん研ぎ澄ませていこうと集中した時期もあり、
そこから何を得たのかと言うと、
まぁ、私という人間がどういう人間であるかを
私がある程度理解する事によりもたらされる安心感だとおもう。
ただ、あっ、となる瞬間や、
うわっ、と込上げてくる世界を、
何かに出していかないと思ったのが、
絵でもなく、音楽でもなく、文章で、
たまたまインターネットというものが発達した時代に産まれたので、
ブログという便利なものに、無秩序に言葉を出し続けている
のだと思う。
この単なる言葉の羅列にどれほどの価値があるかは解らない。
ただ、とても奇妙であると同時に
かけがえのない人との出会いを果たしたツールではある。
だからすごいのである。
このインターネットという世界は。
この世の未来の可能性は、
つまり人と人とが出会うことによって起こりうる、
エネルギーの変化によってもたらされる世界が、
大いにあるという事実だ。
情報の洪水の中をうまく泳いでいけるかどうかによって、
世界はいかようにも変化するだろう。