幸せの幻影

・突然ふさぎこんでツンとなるのは理由がある。
言いたい事があるのに言いたくないというジレンマと、
言いたい事を相手が分かってくれてない歯がゆさである。
言葉にしないと気持ちは伝わらない。
そんな事は百も承知なのに、
「なぜか不機嫌そう」という表現方法しか使えないのは、
相当子供だと思った。
そんな事をしたらますます事態はややこしくなるだけで、
無駄な軋轢が起こってただお互いが気分を害するだけである。
そんな風にしょうもない強がりがきっかけで、
全てが台無しになってしまったりする事は、
世の中よくある事なのだろう。
しかし、よくある事だと甘んじて、
つまらない時間が人生に余計に増えないように、
気をつけようと思う。

・土曜日、温泉に入った後にリラックスコーナーの椅子に
腰掛けながら、随分ひさしぶりに空を眺めていた。
なぜか空の青が目をちゃんと開けていられないほどに眩しく感じた。
なんとか目を細めて空を見ていると、
雲が浮かんでいて、その雲もじっと見つめると、確かに流れている。
雲は一瞬だけ見ると、まるで永遠にそこに居るみたいに、
たたずんでいるけれど、本当はやっぱりちゃんと少しずつ動いていて、
どこかに流れ続けている。
全ての物事、意識、記憶、そういったものと同じなのだと、ふと思う。
常に同じ状況というのはない。
微妙な変化を続けながら、絶妙なコントラストを
その時々のこの世の姿を私達に見せる。
太陽も雲に隠れたり、出てきたりして、
思わぬ陰影を見せてその時々の美しさをこの世に常に照らしている。
夜になったら太陽は沈み、代りに月が輝く。そして再び太陽が昇る。
そういう当たり前の事で頭の中を常にいっぱいにしていたい。
私達に今本当に必要なものは、真っ白いキャンパスと真っ白い原稿用紙、
そして、深遠なる沈黙だ。

・アジアよりも世界は広く、世界よりも宇宙は広く、
宇宙よりも私達の頭の中のほうが広い。

・私達はいつも幸せを追い求める生き物であるのは知られている事だけども、
果たしてこの幸せというやつは、一体どこにいけば
確かにこの手の内に入るのだろうと思う。
私達が追いかけているのは実はただの幻影なのかもしれない。
残り香というか、余韻というか。
そういうものを微かに感じ取り、
幸せを丸ごと手に入れた気になって、浮かれていたりするのかもしれない。
そして同時にこの世の全ての不都合な問題に目を瞑るのだ。
そういう風に物事を捉える事で一体何が得られるのかというと、
よく解らない。
全てを手に入れて、同時に自ら全てを手放しているような気がする。
本当につまらない思考回路を持ってしまったものだ。

・なにがなんでも貫き通したい。
例えばそれは、ジャンプ読みながらポカリ飲んでとポテトチップス食べることで得る、
素朴さと当たり前に隠れている幸福感の間違いのない確信のようなもの。
静かにそういうものを一番に掲げていたいのだ。
ほとんど意地だと思う。そういうのって。