東京シャイネスガール

昼休み、ちょうど浅田真央キム・ヨナが競技をしているところで、
みんなでワーワー言いながらテレビに食い入っていた。
こういうの久しぶりだったのでいいな、と思った。
一体感。共通体験。
それだけで赤の他人と仲良くなれる。
オリンピックや、ワールドカップなど、
選手達の能力や、試合のおもしろさもさながら、
たくさんの人達の意識をひとつに集中させてしまう感じが、
スポーツのすごいところだと思っている。
でも、それ以上にすごいのが実は戦争だったりするんだろう。
同僚の人達が、キム・ヨナの番になったら、
「コケろ」とか普通に言っていて、
そういうのって私はなんか違うなとか思ったりした。
それは多分、キム・ヨナだってすごい練習をしていて、
すごい演技をするのだから、それを観てみたいという
気持ちがあるからだと思う。
て、全然思い入れないけれど。
スポーツに興味のない私が、
あえてスポーツについて語るとしたらそんなところだろう。
最近の車のBGMはもっぱら細野晴臣の“泰安洋行”である。
細野さんがすごいのは、日本人が持っている土着的なものを、
音楽で昇華しているところだと私は勝手に思っている。
今までそんな事をしようとした音楽家がいなかったのだ。
それは絵でいうと横尾忠則と同じようなところだと思うのだけど、
やっぱり目指すべき世界というか、
提示すべき世界はそういう部分だったりするのかもしれない。
誰も注目していない部分に注目しておもしろがる事。
そういう事を繰り返してゆく事が大事な気がする。
すぐにマンネリ化するこの世の中では。
話しは変わり、
どうしようもなく駄目で最低な自分を誰の前で出すかと言うと、
私の場合、親である。
今のところ親にしか見せていない。
というか親と対峙すると自然と出てくる。
本当に不思議なのだけど、
この世でこれほどまでに最低な人間はいないのではないか
というぐらいに最低で、自分でも驚いている。
みんなは最低な自分をどこで出すのだろう。
もしかして誰にも一生最低な自分を見せることのないまま生きて
死ぬのだろうか。
一生いい子供のままで居るのだろうか。
私はみんなのいい人の部分しか観た事がないから解らないけれど、
私は最低な自分を自然と親の前でさらけ出すことで、
自分を保つ事をしているのだと思う。
純粋な分だけ、ちゃんと邪悪にできてる。
それで普通で健全なことなんだと、
私は思っているのだけど、どうなんだろう。