人生の不思議

※こわがりの人は後半注意!
◎近所に住んでいて同い年の女の子で、
一緒に通学したり家に遊びに行ったりした、
Mちゃんという子がいた。
一緒に帰っていると、Mちゃんは時々下校途中にあった、
大きな木の上の方をじっと見つめて、
「木のてっぺんに、○○(←名前があったのだけど忘れた)がいるよ。」
と、私に言う。
でも、私には見えない。
うっそうとした竹薮のところでも、
「ほら、あそこに○○がいる。」
と、指をさす。
やっぱり私には見えない。
家に遊びに行って、人形で遊んだり、ゲームをしていても、
「今、ここに○○がいる」という。
どうしても私には見る事が出来ない。
世の中には私には感知不可能な世界があるんだと知った。
その頃は私よりもMちゃんの方がなんでも知っていて、
大人のような気がした。
そして○○についても色々と教えてくれた。
時々、Mちゃんは作り話をしているんじゃないかと
思うこともあったけど、別に作り話でもよかったし、
今では本当のことだったんだと素直に思う。
でも、きっと当のMちゃんはそんな事はもう、
忘れているような気がする。
だって、年頃になるときつめの化粧をして、
男好きの普通の女になっていったから。
でも、それが正しい成長なんだと思う。
私みたいに30手前になっても、
小学生の下校途中の不思議を思い返してしまうほうが、
変なんだと思う。
◎中学生の時、同じクラスにHさんという子がいた。
Hさんは標準語を喋っていたので、
明らかにクラスで浮いていたし、
なんなら少し嫌われているぐらいだった。
でも、私はHさんと仲良くなりたいと思った。
Hさんには不思議な魅力が漂っていたからだ。
私もちっとも馴染めずにいて、学校にうんざりしていたんだろう。
そんな時、馴染めなくても堂々としていたHさんは、
私にとって、ヒーローに近かったのかもしれない。
Hさんは周りを馬鹿にしていた傾向があった。
今思うと、それはとても正当な態度だったように思えるけれど、
当時の私にはそんな風に思う度胸も無ければ、頭も無く、
ただ存在をゼロにしようと躍起になっていた気がする。
交換日記などもして、それなりに仲良くなったけれど、
何かが違ってきて、何かが違うと思い始めて、
クラスも変り、新しい友達も出来てあっという間に疎遠になった。
(Hさんは相変わらずひとりでいるようだった)
高校も同じだったけど、高校では一言も喋った記憶が無い。
Hさんはどこに行っても浮いているような感じがした。
今の職場でも同じような空気を纏っている女の人がいて、
いつもHさんを思い出す。
とても真面目なのだけど、何かが決定的にズレている人。
もう友達にはなれないけれど、
なにか自分と似ているものを感じないわけではないのだ。
◎幽霊を感知する周波数は持ち合わせていないけれど、
そういう話しはわりと好きだ。
こないだ眼鏡屋でもそういう話しになり、
(眼で見えないものについて眼鏡屋と話すってなんだかおもしろい)
二見にある古い建物で、演奏会なんかすると、
たくさん寄ってくるんだそうで、
琵琶の演奏会の時、金縛りにあった人がいたりしたそうだ。
眼鏡屋さんは明らかに怖がっていたのだけど、
私は正直なところそんなに怖くない。
でも、その時は眼鏡屋さんの世界のトーンで、
目に見えない得体のしれない何かについて聴いていたので、
怖ろしいイメージが湧いてきて寒気がしてしまった。
でも、落ち着いて考えるとやっぱりほんとはそんなに怖くない。
そして、私は普段、携帯のカメラ機能をほとんど使わないのに、
なぜかその建物に飾ってある日本人形の写真はたくさん持っていて、
なにか因縁めいたものを感じたりしたのだけど、
それが一体なんだ、という気もするので、
あんまり追求しないでおく。



撮った当時は純粋にかわいいと思って撮ったのだけど、
そういう話しを聞いてから見ると確かに怖い。
眼鏡屋さんには「消したほうがいい」と
言われたけど、消したほうがなんか怖いので、
残しておいて、しかも、こうやってまたブログにアップしてみたりして。
なんか『リング』とかそういう世界が喚起されたり。。
これってほとんど嫌がらせだな。