チャクラとどんぐり

今日、家に帰ったら、
父親が倉庫を片付けたらしく、
母親の若かりし頃の写真と、
絵や、詩や、俳句、散文がしたためてあるノートが
居間に置いてあったので興味深く拝見した。
私と同じぐらいの年代に書かれたものらしくて、
その頃特有の心の葛藤や、
自然の美しさを表す描写がたくさんあった。
本当に才能溢れる人だったんだなぁ、
と家族で感心した。
しばらくは母親のノートをじっくり読んでみるつもり。
それにしても白黒写真というのは、
なんてノスタルジックで味わい深いんだろう。
ひさしぶりに写真ていいなーと思った。
無造作に束にしてい置いてある感じがまたよかった。
とはいえ、ちゃんとアルバムに綴じて整理しようと母と言いあった。
ノートにきれいな字で書いて残してあって、
こうやって同じ年頃に育った娘が読む、というのも
なんかいいな、とおもった。
私なんかもネットにばーっと書き散らかしているだけだけれど、
こんなのものはどんどん消えてゆくものであって、
後には残らないし、誰も読み返すことはない。
それも寂しいけれど、それでいいのかもな、
と思ったりはする。
 
 言葉には針がある
 心にはない針がある
 言葉のこわさを心に感じた
 
 ある日
 
 私は心をみた
 胸の中で叫んでいた
 私の心をみる
 ある寒い日の私を
 
 

 雨の日も 晴れた日も 私はいつもこうして座っている
 人は笑うかもしれないが 私にとっては大切なこの人生
 つかの間の時間でも その道は遠い道のようです
 私はまた立ち上がらなければならない時の来ているのはわかっている
 そしてこの今の時間にも気の付かない
 時間に追いかけられる日々が待っていることを
 
 なぜ人はこんな時にあくせくするのかしら
 なぜ時と共に生活する事は出来ないのかしら
 この広い世界には時間においかけられたり
 しばられたりする事のない世界もあるというのに
 なぜ私達はこんなに時間がたらないかのように
 あくせくとした生活が出来るのかしら
 私にはまだはっきりとした事もわからないのです
 
これからこんな風に
ちょいちょい載せていこうかなー。
母親の詩みたいな散文みたいな言葉の羅列。