酒と車と私

最近、酒と車と私の関係について考えていた。
まず酒と私。
私は酒が好きである。
酒での失敗談もけっこうある。
いつもついつい酒を飲みすぎてしまう。
でも毎日酒を飲みたいとは思わない。
私が酒を飲むときというのは、
酒を飲まずにはおれない日だけである。
それは、とても天気の良い日だとか、
なんだかよくわからないが勝手に楽しい日だとか、
みんなで集まった日、とにかく騒ごうぜという日、
酒を飲みたいと思う時というのは、
いつも、おめでたいときなのだ。
だから寂しさや悲しさをを紛らすために飲んだりとか、
そんな飲み方はしたことがない。
そういう時は飲まずに、とっとと寝て次の日に人生早送りする。
酒とはそういう付き合いしかしない。
というか出来ない。
次に車と私。
私は車にこだわる方なのかそれともこだわらない方なのかという点。
私はフォルクスワーゲンのゴルフだとかポロだとかに
乗りたいと思うタイプの人である。
しかし、フォルクスワーゲンのゴルフだとかポロだとかは、
それっぽい人達がたくさん乗っているのだ。
「うわーみんなそれっぽいわー」とか思いながら、
すれ違うフォルクスワーゲンの運転手をいつも眺めている。
私はどうも「フォルクスワーゲンとか乗ってるぽい」人
にはなれないような気がして、
というか、なんだか今さらフォルクスワーゲンとか
気恥ずかしい気がして乗っていない。
何に乗っているかというと、スバルのR−1である。
これはあんまり乗っている人がいない。
いないという事は分析されづらい(しづらい)ということである。
試しに、ごくまれにR−1に乗っている運転手をチェックしてみる。
よくわからない。
冴えないおじさん、というのが一番多いかもしれない。
そもそも、この車を選んだ要因としていくつかあげられる。
形も悪くないし、あんまり人が乗っていないし、
この車にのったら兄が喜びそう、というのが大きい。
兄とほとんど共通点のないので、あえて兄の趣味ににじり寄ってみたのだ。
つまり、私は車へのこだわりはあんまりないと言える。
あんまりないなら、家族が好むものを選んであげて
喜ばせてあげようとしてしまうのが、
実は私という人間の本質の一部分をよく表している部分なのではないかと、
自己分析しているのだけどどうなんだろう。
そういう心の動きは結構無意識の内にやってしまっているので、
時々、後から自分が出てきて後悔してしまったりする。
結構なんでもそうかもしれない。
なんでも目の前のあるもに合わそうとする。
そうすることで、私の中の何かが上手く回っていく。
そういう体質の人って女の人に多い、
というか、女の人ってそういう風にうまく自分を
カメレオンみたいに微妙に変化させて生きているんじゃないかと、
私はおもう。
そんな風にして男の人を無意識の内にいい気にさせたりして、
魔性とかなんとか言われちゃう人って結構いる気がする。
でも女の人ってそういう性質なんだからしょうがないと思う。
知らず知らずのうちに、事がうまく運んでいたりするのは
女の人の力だと思う。
女の人は世の中の潤滑油みたいな水みたいな生き物なんだと思う。
だから女は潤いがとても大事なんだろう。