文章の力

友達にあげるために、
サケロックのトロピカル道中と、
キセルの私的ベストを焼いていた。
カクバリズム最高だな、まったく。
最近、文章よりも音楽の方が利き目があるのかなー
なんて思っていたのだけど、
よしもとばななの小説を読むと、
やっぱり文章のほうがすごい!と思える。
一文一文にぎゅっと命が凝縮されていて、
薄いとかんじる言葉がひとつもない。
すべてに命が宿っていてキラキラしている。ように私は思える。
音もなく、潮が満ちたり干いたりするように、
緑が光合成をするように、動物が呼吸するように、
私達は生きていて、そういう当たり前の奇跡が、
どんどん日常の何かに埋没していって、
見えなくなっているんだということが、
彼女の作品を読んでいるとわかる。
女の人がヒステリーを起こしたり、ノイローゼになったり、
なんだかわからないけど不安だし心配なんてときは、
全体のバランスを取るための浄化作用みたいな役割があって、
そうなって当然なんだけど、
そうなると理解のない人達に「あいつはダメだ」
と非難の対象になってしまいがちな風潮が以前は強かったけど、
最近はどんどんよくなってきているような気がする。
今までどれ程の人が彼女の文章で実際に救われたり、安心したり、
人が人に対する理解を深めて物事がスムーズに運べたりしたんだろう
なんてことを考えると、感動で涙が出そうになる。
そして改めて文章の力に敬服したくなる。
人には世界に対して色々なアプローチの仕方があって、
それこそ千差万別で、それぞれのやり方でいいんだと思ったりもした。
ネガティブを出すことは、それだけで解消されていく。
辛いときに、「つらい」と言ったり、
死にたいときに、「死にたい」と口に出すだけで、
もう解決しているようなもの。
そういう、ひとりひとりが持つ自然の呼吸のようなものを大切に
していくだけでも、世界は随分まともになるのではないだろうか。
とは言っても、すでに全体的にレベルが上がっているというか。
世界全体の空気の流れは確実に一定の方向に加速していて、
それにともなって、妙な歪が産まれているのも確かなんだけど。
その辺の世界観は5次元文庫的でもある。