説明書

今日は衣替えもかねて、押入れを片付けたり、
お父さんと話をしたり、
お母さんの昔の写真を整理したりして過ごしてみたら
随分気持ちが普通に戻ってきた。
時々、多分2,3ヵ月に一回ぐらいのペースで、
日々、私が細々と信じている何もかもを根底から覆されて、
暗闇の世界に落ちているような気がする。
それは生理にとても似ていることに気付く。
そう考えると、暗闇に落ちることはけして悪いことではない
のではないかと思った。
一生その世界に住み続けるわけではないことが解ったし、
(でも暗闇の世界にいるときは
“自分はもうこのままダメなってしまうんだ”と怖くて、
さらにドン底の気分になるんだけど)
内側から真っ黒い世界がドロドロと溢れ出てくるので、
そういう時期はなるべく人と会わないようにして、
(というか会いたくない)
引きこもって、独りきりでそのドロドロにまみれて、
文章に表すのに必死になるんだけど、
(ドロドロは何かのカタチにすると昇華される)
きっと、潜在意識が何かを必死に訴えようとしているので、
それを意識で抑えなくてもいいんだと思った。
汚いも綺麗も上品も下品もひっくるめて、
全部わたしなのだ。
命のそういう全部を愛してゆきたいんだった。わたし。
でも、ドロドロはあまりにもドロドロでみっともないので、
どうしても人には見せたくないし、
常にスマートでありたいと思う。
でも、そんなの少なくとも私は不可能だし、
私の中の自然とは反する。
だから今後ドロドロが出てきたら、
いかに外に出していくかがポイントで、
今回、私という人間の生態というか重大なパターンを
自分で解明できた気がして嬉しいし、安心している。
今回私がドロドロから脱出できたのは、
ライアン・ラーキンのアニメが作用したのは間違いないし、
あとタテタカコさんの音楽を聴いた時も、
ふっ、と心が軽くなったので、そういう表現は、
やっぱり偉大だと思う。
救われるとまではいかなくても、今の場所から少し離れるというのは、
バランスよく生きていくためには、
少なくとも私にとってはどうしても必要なことだからだ。