昔みたいには遊べない

最近自分の至らない部分ばかりがやけに目に付いて、
絶望的な気分に陥りやすくなっている。
人と関わって、わーっと盛り上がって、
お互い楽しくて、それで終わりにならない。
昔はどうやってたんだろう。
人と関わるのが楽しくて、色んな人と知りあいたくて、
目にうつる人達全員がいい人で、
そんな時代はどこにいったんだろう。
もうそろそろ暗い日記も飽きてきたし、
ひたすら自分の弱さをさらけ出して自虐的なのもいいところだし、
もはや公害レベルに達してるということさえも自覚できているので、
やめにしたいんだけど、
なんかこう、ずっといじけている。
日記の内容が10代みたいで死にたくなる。
むしろ今の10代の方がもっと大人だろう。
ああ、つまらない。
とりあえず、早く天気がよくなってほしい。
日光を浴びたらもう少し気分もよくなるはず。
他人にとっちゃどうでもいい他人の内的世界の話はさて置き、
外的世界はそれなりに色々と楽しく過ごしているつもりで、
日曜日は『知りすぎた宮大工の講演』というイベントに参加したりした。
世の中にゴマンと流出しているありとあらゆる陰謀説に
やたらと詳しい宮大工さんが、
無知な一般市民に解りやすく教えてくれるという
ありがたい内容の珍しいイベント。
なぜかCIAにやたら詳しくSFなんかも大好物の母親の影響なのか、
陰謀説は私にとってDNAレベルで関心の高い話題だ。
イベントには、なぜか地元の名物社長もお客さんとして参加していて、
飛び入り講演なんかもしてもらえたので、
ただひたすら胡散臭い怪しいイベントで終わらなかったのが、
よかったとおもう。
結構いい話も聴けた。
酔っ払ってていまいち覚えてないけど。
このイベント、アジトで行われたんだけど、
改めてこの場所の可能性というか、抱腹しうる世界の広さ、
みたいなものを感じた。
前は、レゲエっぽいのやら、民族系やら、アート系やら、
巷に溢れ返る若者の一過性のファッションを、
田舎の若者が真似事を低予算でやれる場所という感じでパッとしなくて、
今いちあの場所を生かしきれなかった感があったのだけど、
やっと、あの場所独特の空気感とマッチした、
わけのわからないイベントが自然発生してきて、
やっぱり関わる人間の質によって随分違ってくるなぁ、と思った。
アジトで過去にASA-CHANG&巡礼のライブが出来たことは、
本当に凄いことだったと自負しているし、
来月ASA-CHANGのタブラボンゴナイトを開催できるのも、
すばらしいことだと思う。
全国には色々といい場所があるんだろうけれど、
やはり、アジトのように妙なところは他にはないだろう。
才能のある写真家にアジトの写真を撮ってもらったら、
きっと素晴らしい写真ができるだろうし、
才能ある映画監督に映画を撮ってもらえたら、
なにか素晴らしい映画が産まれそうな予感さえする。
と、試しに褒めちぎってみたけれど、落下点はない。
一色に染まらずに、色々な想いを抱えた人達が
色々な関わり方をしたらいいのだろう。
私は私なりの関わり方で何かを仕掛けて発信していけたらいいなと思った。
私の感覚に引っ掛かかる、素晴らしいアーティストの何かを、
生で受け取りたいという、怨念とも取れる強い気持ちだと思う。
と、同時に地方の文化レベル向上みたいなものに貢献できたら本望である。
と、ダラダラと書いてみたら、
前向きな気持ちになってきた。
いいとこあるやん、自分。
トモフスキーの『ムカシミタイニハアソベナイ』
がなぜかエンドレスリピート。
すごい好きなんだよなー、この曲。
♪むーかーしーみたいにはーあーそべないー
なんでみんな昔みたいに遊べるの?