私みたいな女の子

時間は薬である。
色々なことが解けていく。
と見せかけて実はどんどんこんがらがっているのかもしれない。
 
まずは執着を捨てねばなるまい。
心の中の混沌や混乱は自分自身が原因だ。
色々な問題が浮かんでは消える。
変な焦りであるとか、自分の不甲斐なさみたいなものが、
どこからともなく、ぐんぐんと湧いてくる。
一見、普通にしていても、
心の中は荒れに荒れている。
 
『我を忘れる』とはこのことか、
と、思った。
何かに取り付かれたみたいに、
私の全てが支配される。
暴れ狂って行き場のない感情を自分の中に閉じ込めるのに、
精一杯になる。
そのことに、全エネルギーを使い、
何もしていないのに、なにやら疲れている。
 
不細工になんてなりたくないのに、
どんどん不細工になっていく。
それが何よりもつらい。
だったら切り離すしかない。
そうしないと、私が駄目になる。
 
そういうのって我儘なんだろうか。
忍耐が足りないって言うんだろうか。
本当にものは捉えようだ。 
色々な感情に人は名前を付けて、
言葉にしているけどやはりどうもイマイチ的を外してしまう。
 
今は忍耐のとき。日陰の時代。
ジリジリとなにかと悔しい思いをしたり、
どうもぱっとしない事ばかり続いているのだけど、
いずれ、浮上する。
なかなか浮上しないかもしれないけれど、
今を自暴自棄にならないで、真面目にやることをやって生きていれば、
いずれは、生きてることが軽くなるときがくる。
そう思っていないと、
やっていられないぐらいに
なぜだかつらい。
しかし、こういう波って、多分順番がある。
不調のとき、不調を言う人と言わない人がいて、
私は、不調も好調も人生で同じぐらい大事だと思うので、
同じぐらいの思いの強さで書いてしまうけれど、
多分、不調のときは、不調を訴えない人のほうが多いのではないだろうか。
  
星野源の『ばかのうた』を聴く。
とてもいいアルバムだ。
HOSONO HOUSEとかけて、
HOSHINO HOUSEと関係者の間では呼ばれているそうだ。
来週ライブに行くが、とても楽しみだ。
 
それにしても、前から気になってはいたのだけど、
昨今の日本の音楽シーンはどうも、
坂本龍一派と細野晴臣派に分かれているようだ。
なんだか不思議な感じがする。