なにかの呪い

星野源の『ばかのうた』が好き過ぎて、
ここのところ毎日聴いている。
朝目が覚めても、車の中でも、夜ひとりきりの部屋でも。
この歳になってこんなにもハマれる音楽ってあるんだなぁ、
と、自分でも驚いている。
 
星野源のライブが終了し、ゆっくりと会場を出るとき、
後ろに居た女の子が、
オザケンに似てたねー」
なんてことを言っていて、それは、
間違っているようで、間違っていないような気がした。
 
このアルバムで星野源は間違いなく、
普遍的で、かつ新しいことを曲にし歌にしていると思う。
この世に名盤と言われる音楽がどれほど存在しているのか、
解らないけれど、『ばかのうた』というアルバムは、
名盤に選ばれるべき、完璧な一枚だろう。
ひとつのターニングポイントと言ってもいい。
まぁ、それぐらい私は好きってことなのだけど。
 
なんでこんなにワシ掴みにされてるのかなー、と、少し考えたところ、
やはり内容が自分のパーソナルな部分にぐいぐい突っ込んでくる、
ところが大いにある。
しかも、今まで聴いた音楽にはない部分に突っ込んでくる。
このアルバムを支持する人たちは、
メロディのよさであるとか、歌詞のおもしろさ、切なさ、
色々あるだろうけど、やはり、
明るく歌えない部分を、さらっと自然に、
実にさわやかに歌われている部分に、
無意識のうちにも救われているというのがあるのではないかと思ったり。
 
今まで誰もしていないおもしろいことをしようと企んで、実行して、
実際に多くの人々に喜んでもらえている人って、
単純にすごいなーと思う。
星野源は同年代の中でも抜きん出た才能を持っている人だ。
見た目は全然ぎらぎらしてないのに、
実はめちゃくちゃぎらぎらているというのもすごい。
これからどうなっていくのかとても楽しみな人物である。
ほんとうに。
 
それからなにがすごいって、
私は『ばかのうた』を聴いて、どんどん妄想が広がって、
これまでの人生における色々なことが繋がって、
すごい景色が見えてしまったんだけど、
あまりにも突拍子もない風景なので、誰にも言えない。
こんな田舎に住むアラサー女子の想像力をここまで搔き立てて、
どこか違う世界にひとっ飛びで連れて行ける力は、
ほんと侮れない。
わたしにとっては、強力すぎて、
もはやその能力に恐ろしささえ感じる。
そんな風にして、私以外のたくさんの女の子たちも
各々、好き勝手に妄想して、
星野源の歌声にメロメロになっているのだろう。
日本全国各地で。

しかも、それが計算ではなく自然とやっている(であろう)
から、なお更すごいのだ。
いやー、音楽って本当に色んな可能性を秘めているものなのだと、
改めて思った。
受け取った情報はそれぞれの人の中で変換される。
発信した人の予想よりももっとすごいことが起きる可能性がある。
どんなものを発信したいかは、
人それぞれで、私たちは好きなものを選んでキャッチしたり、
勝手に入り込んできたりして、
影響を受けたり、与えたりしあっている。