自由とはなんぞや

「もっと自由になれるはずだ」
という言葉が脳内をリフレインする。
私が生きていていてもっとも自由であると感じるときは、
たぶん、良質な音楽であり、文章であり、絵であり、
とにかく人が産み出した表現に出会ったときに起きるように思う。
 
無意識のうちに日常生活で勝手に作り上げている枠が
一瞬のうちに取っ払われて、
ありのままの自分が浮き彫りになり、
まるで空を飛んでいるかのように生きている事が軽くなる。
そういう瞬間に出会うたびに、
「ああ、生きていてよかったなあ」
と心の底から思う。
 
それを、魔法と呼ばずしてなんと呼ぼう。
 
とにかく、そのような魔法を使える人間がこの世の中には
存在していて、そういう人々しか私は尊敬していないのだ。
基本的に。
 
しかし、自由とは時に不安定な状態に陥る。
そして、非常に孤独なものでもある。
そういう諸々を受け止めつつ自由を謳歌する。
 
宗教は不自由である。
しかし、そこには安定がある。絶対的な教えがある。
人間の弱さと無知に高みから入り込んでくる。
とはいえ、私は宗教は嫌いではない。
大切なこともたくさん含まれているので、
勉強になり、参考になる。
が、それが全てに成り代わることはない。
 
恋は宗教に似ている。
むしろ私は宗教的エッセンスの含まれた恋しか求めていない。
産まれてきた意味であるとか、世界の成り立ちであるとか、
そういったものがまるでいっぺんに解決してしまうような、
そんな世界を共有できる人間をこの世で見つけたいと思っている。
それは勘違いや思い込みではなくて。
真っ当な出会いを求め続けている。
これは、ほとんどライフワークだろう。
 
なんか久しぶりにガツガツしている自分が戻ってきたなぁ。
ガツガツしているときは、自由にガツガツさせるに限る。