ぼんやりとチュウするの

昨日のドミューンが良過ぎて朝から夢見心地。
 
音楽ってさ、なんて朝から考えて。
そう音楽ってさ、たくさんの人に聴いてもらって、
喜んでもらって、お金を払ってもらって、
っていう形が主だけども、
本当は、もっと自由なんだろうなー、なんて思った。
なんも知らないけどね。
 
人が表現するってさ、どこに向かって語りかけるのかって
ことが重要なんだと思う。
それは、電車で横に座ってる知らないおじさんとか、
死んだ祖父母とか、愛する女の子、これから愛するまだ見ぬ女の子、
向こうの世界にいる人、宇宙人、妖怪、
今この世に生きてる全ての人間。
本当に、限りがなく果てしなく対象はあって、
どうしても見えてしまう光景があって、
どうしようもなくなって絞り出してしまう行為なんだと思う。
 
DIYSTARSのシステムが今後どう影響していくか、
見守っていきたい。
音楽がますます自由に、身軽に、
いつまでもそこにありますように。
 
どうして私たちは忘れちゃうんだろう。
あんなに素晴らしい風景を共有して、
あんなに素晴らしい風景を一緒に見たはずなのにね。
たぶんそれは僕らが常に流れる生き物だからだ。
留まることができないからだ。
それが生きているということだからだ。
だから残そうとするんだ、僕ら人間は。
そして、何かに出会おうとする。
必死に手を伸ばして、何かを掴もうとする。
けっして掴むことは出来ないことを知っていてもね。
でもね、その風景がなによりも美しいと僕はおもうんだよ。