謎を解くのだ夜明けまで

今日は原爆の日
黙祷の時間、私は顔を洗っていた。
65年前その時間に、人類初めて核爆弾が地上に落ちたのだ。
私みたいにいつものように顔を洗っていた人も居たのだろう。
そんな風に当時の状況を想像せざるを得なかった。
ばしゃばしゃと水道の水で石鹸を落とした。
セミの鳴き声がやけに悲しく心の響いてきた。
 
村上春樹の『1Q84』の1巻を読破。
読むのが遅い私は8時間ぐらいかかった。
でも、めちゃくちゃおもしろい。はやく、2巻に取り掛かりたい。
が、ちょっと自分の中で整理というか、読んでて浮かんできた情景を
書き留めるために、ブログをしてる。
ちなみに『1Q84』をすでに読んだとても限られた人の感想で、
頭の中に残ってたのが「まだやってる」という、
呆れたというような、がっかりしたというようなニュアンスのそんな言葉と、
「麻原もそういう人だったんじゃないかと思った」
というような、オウムと関連付ける感想だ。
この「まだやっている」という感覚。
それって一体なんなんだろうと、シコリみたいにずっと引っ掛かっていて、
気持ち悪かったのだけど、その人がそういう感想を吐き出す感じは、
なんとなく理解した。つまり、その人のその時の心の在りようみたいなものが、
ただ忠実に浮き彫りになっていただけなのだと思う。
そんな風にして、人はちょっとずつ、生活に絡めとられて、
人が人である以上備えているべき感覚が壊死していく気がする。
でも、照れ隠しというか、本心は語りたくないみたいなポーズもあるのかもしれない。
と、今、少し思ったが、それはよくわからない。
 
この手の作家、と言ったらあれだけども、
そういう人たちが書きたいことを、全部書いている、という気がした。
過去の村上作品の集大成というような感じもうける。
人類共通の記憶、意識。そこから浮かび上がる心の闇。
遺伝子と魂。物事は自分で選んでいるようで選んでいない。
一貫して、村上春樹という人物が見続けている世界。
体の奥底からこんこんと湧き続け、創作に駆り立たせてる世界。
それは、「まだやっている」ということだ。
つまり、彼はまだこの世に存在し続けていて、創作活動を続けていて、
私たちの前にその世界を提示し続けていて、
私たちはそれを享受し、彼のフィルターを通して世界というものの、
理解を深めているという事実。それだけだ。
無駄がなく、全ての言葉に魂が宿り、音楽のように流れ続け、
絵画のように色彩豊かで、その文章は私たちに語りかけてくる。
もちろんそれは、同時にこちらの受け取る側の技量も試されている。
音楽にしろ、絵にしろ、文章にしろ、
目の前にあるそれは、常にただ事実を提示しているだけで、
それをどんな風に受け取るかは、こちらの能力次第なのだ。
魂の問題と言ってもいいかもしれない。
琴線に触れ、激しく揺さぶられる人も居れば、
なにも感じずに、そのまま通り過ぎていく物語なのかもしれない。
私は人が物語ることの大切さを感じる。
理不尽な事故であり、人間の歪みにより傷つけられる弱者であり、
物語るほかに、救われる方法のない人が世の中には無数に存在しているのは事実で、
物語るすべを知らず沈黙してこの世から去っていく人々もいて、
作家になるべくしてなる人々の特殊能力はそういう人たちの為に、
この世に存在しているのだと、村上春樹の作品を読んでいると、強くそう思うのだ。
単純に趣味がいいとか、若者の孤独であるとか、生々しい性描写であるとか、
アメリカ文学であるとか、そういうある意味ファッションのような、
たくさんの人達が入りやすい入り口で表面をコーティングしながら、
もっと、ずっしりと重たい、人間とは何か?生きるとは何か?
という投げ出してしまいたくなるようなテーマが一貫して、
流れていて、よくわからないけれど響いてくるのだと思う。
村上春樹について話をしようとすると、
どうも薄っぺらい部分でしか人と話が出来ないけれど、
本当はそれぞれが何かすごいものを受け取っていて、
でも、言葉にしようとするとどうしても大事な部分が抜け落ちてしまい、
ペラペラの会話になるのではないかと推測する。
ここから始まっていくんだ、という気がする。
村上春樹というフィルターが、人間の意識の根底にどういう変革をもたらして、
どういう世界に傾いていくのか、今後が楽しみだ。
それは、キリストや、仏陀や、ビートルズ、なんかと似ている。
よしもとばななや、細野晴臣だってそうだ。
そういった、現実離れした秘密を抱えた人々がこの世に出てきて、
暗号のような作品を残し、世界の方向がちょっとずつ、
ちょっとずつ変わっていくんだと思う。
今生きてる人にも、これから生まれてくる人にも、影響を与えながら。
 
65年前に原爆が落とされたこの国に、
そういった才能をもった人間が育っていることに、私は単純に感動する。
ちょっと泣けるぐらいに。
さて、続きを読もう。