“結婚しました”

大学時代、仲良くしていた女の子がいつの間にか結婚していた。
このいつの間にかっていうのが私はいいと思う。
 
結婚式の様子を写真家さんに頼んで撮ってもらっていて、
それがかなり素敵だった。
普段はエロティックな女の人の裸体をたくさん撮ってるような写真家さんで、
女の子の内面の魅力を引き出すのがうまい人だと思った。
「この人に撮られるなら脱いでもいいわ」
という女の人は世の中たくさんいるだろう。
そんな風に思わせる写真の世界だった。
もともと魅力的な友達はさらに魅力的に写っていた。
HPがコチラ→http://www.tabou.org/index.html
 
結婚をするとあちら側にいくもんだと、
未婚アラサー女は考える訳で。
そして出産なんかすると、ますますあちら側にどっぷりと浸かる。
私はもちろんまだこっち側である。
未婚のまま三十路を迎える可能性は今のところ99.8%ぐらいだ。
0.2%はなんか変な残りカスみたいなもので出来ていると考える。
それにしても段々みえてくるものがある。
結婚しそうな人と、しなそうな人が。
出来る人と、出来ない人という言い方や、
向いてる人向いてない人という言い方もあるけれど、
私の場合、完全に後者なのであって、まぁ、これはそういう性分というか、
産まれもっての性質なので仕方がない。
しても、しなくてもいいだろう、というのが今のところの見解。
 
結婚というものの多くの実態はそんなにロマンティックなものでない
と推測していて。
「そろそろ歳だしな」とか、
「親を安心させたい」とか、
「子供を産むなら早いうちがいい」とか、
「まぁ、この辺が妥当だろう」とか、
そういった人生の計算が少なからず謀られる。
諸々の俗っぽい欲望が渦巻きつつ、人は結婚を選択する。
そういう世界を受け入れることのできる大きな器のある人間だけが
結婚できる。それはとても立派なことである。
人間として成熟しているともいえる。
しかし、中には成熟しきれない人間ももちろんいるわけで。
いつまでたっても、夢物語を追い続ける人間も確かに存在する。
とある既婚者の男性はそれを“虚しい”と言った。
びっくりするぐらい全然同感できなかった。
もちろん、私がまだ若い(アラサーははたして若いのかと聞かれると悩むけど)
というのもあるけれど、夢の何が虚しいんだろうと思った。
この世は個人個人の自由気ままな夢で出来ているというのに、
“虚しい”と思った時点で、そこには虚しい現実しか立ち現れない。
この考えというか思考回路は、不思議なことに、歳を重ねるほど強まっている。
10代の頃の方が、理想や夢ばかり追い続けるのは虚しいことだと、
考えていた。
だから、現実をみた。なるべく甘っちょろいことを想像しないようにした。
世界はシビアだ。夢を見た途端においてきぼりになる。
ところがどうだろう。私が考えていた現実は行き止まりになった。
その先はどこにも行けない真っ暗闇の世界だった。
パニックになった。私が信じていた世界がまったく通用しなくなったのだから。
私は考えた。考えて考えて考えた結果、
現実は夢の中にしかないことに気がついた。
夢の力が現実を形作っているのだ。どんな時でも。
私は驚愕した。
この世界はこんな簡単で素晴らしいことで出来ているのかと。
魂の言葉に一所懸命、耳を傾けるだけで、
私がどんどん解き放たれていくようだった。
一枚、一枚と、私という生き物のベールが剥がされていって、
より物事に対する姿勢が明確になる感覚。
これほど、気持ちがいいことはない。
私はこの世に長くいればいるほど、たくさんの時間をかければけるほど、
どんどんよくなっていくだろうと、心の奥の方でそう確信している。
この世の闇も苦しみも、命をより輝かせるための重大な一部分だと知るとき、
どんなことが起きても、背筋をのばしていきてゆける。
人にはそんな力が備わっている。
 
さて、話しが完全に、当初は思いもしない方向に逸れて行ったけれど、
それが自由であるということだし、人生そのものとも言えるのかもしれない。
とにかく、私が言いたいことは、ただひとつ、
結婚おめでとう!という心からの祝福の言葉である。