うだつのあがらない20代

1、男に会う。
2、今までに出会ったことのないタイプだと思う。
3、興味が湧く。
4、また次も会いたいと思う。
※今思えば、それは“会いたい”というよりも“会うべきである”という確信だ。
5、男と人生の一部分を共有したいと思う。
※今思えば、“共有したい”というよりも“共有するべきである”という欲望だ。
 
時が過ぎる。
 
6、そこに待ち受けているものはいつも苛立ちと失望。
 
何もかもが行き詰まってしまった。
 
fin 
the end
game over
  
???
 
 
友達が「うだつのあがらない20代を送ってよかった」
と、言っていた。
なかなかの名言だと思った。
すると「みんなうだつはあがってないよ」という声が上がった。
なるほど。
 
他人に近づけば近づくほど、そこには絶対的な違いが浮き彫りになる。
どれだけ趣味や性格が似ていたって、結局ただの他人である。
血が繋がっていたって、全然違う考え方をそれぞれがする。
でも違うから集団に広がりと奥行きが出る。
 
ひとりひとりが自分自身を掘り下げる必要がある。
そうしないと、世界が明確になることはない。
いつまでたっても、間違い続けるだろう。
しかし、その間違いや中途半端さ加減こそが、
人間のおもしろいところでもあるけれど、
きっと私たちは最終的に間違いを無くし完全になりたいと考えている。
そういう欲望がどんな人間にも心の奥底に眠っている。
たぶん。
 
産まれる前から決まっていることがある。
誰かと出会い、誰かと世界を共有し、誰かと別れることが。
私は君に渡すものがある。
私は君から受け取るものがある。
そういった、目に見えない命がけの取引が世界中で行われている。
本人も気がつかないうちに。
なんとなく。
 
浅野にいおの「世界の終わりと夜明け前」を買う。
山本直樹の「世界最後の日々」や、
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
(←読んだことない)と、同じ大好きな“世界の終わり”シリーズ。
3人の作家の共通していることは、
まず男性であること、そして性描写がたくさんあること、
あと、主人公のうだつがあがらないこと。
うだつがあがらない男性は世界を終わらそうとする。
そして女の子とたくさんセックスをする。
女の子とたくさんセックスしたって全然満たされてない。
ほんとどうしようもない。
いつまでたってもふらふらして、人生適当にやってる。
それがこの世の男性の人生の大部分を占めているんだろうきっと。
善いも悪いもない。
そういう力が働いていて、そういう世界になっている。
いまのところ。
  
奈良美智の描く女の子のような、
岡本太郎太陽の塔ののような気分。
  
私がもってる重大な情報を君にはあげない。
そもそも君には受け取るべき空白もないのであげることができない。
渡すべき相手は違うところにいる。
会うまで私は大事にとっておいて、
出会った瞬間にうまく渡せるように準備をしておく。
それさえ果たせれば、私の命はもう用なしだろう。
そんな風に、神様の伝書鳩みたいな人たちが世の中にはたくさん潜んでいて、
日々、誰かを探し続けている。
 
ああ、そうか、伝えることの大事さってそういうことだ。
正しく伝えるには才能が必要だ。
そして正しく受け取るにも才能が必要だ。
そういった才能と才能が出会ったときに、
神様からのプレゼントが目の前に現れるんだと、
そういう瞬間を人々は心待ちにしているんだと、
私は思ったりしている。