海の中で眠るあの子

友達と久々に外食。
イワシとアンチョビのパスタ、ゴルゴンゾーラのニョッキ、
トマトのサラダ、桃の紅茶、チョコのジェラート
相変わらずおいしかったー。ふー。
  
定期的にお互いの人生に起きたことをお互いに報告しあう会。
おいしいものを食べながら、
ああでもない、こうでもないと、話を聞いて、話をして、
だからといって問題が解決することはないし、
前進することもないし、むしろ謎は深まる一方だけど、
そんな風にして、私たちは何かを発散して、
何かを整理して、何かを受け取ったりしている。
誰かに話を聞いてもらうというのは、
自分の人生を他人に物語る、ということ。
それによって、私は彼女を知る。
知ることによって、何かが昇華されている。
  
心の生理のようだ、と思う。
女の人は毎月、生理が来る。
古い子宮の壁がはがれ落ち、新しくてピカピカ子宮が出来る。
そんな風に、自分の人生に起きた物事を自分の口から吐露することで、
心の中に溜まっている何かが剥がれおち、
これから起きることを真新しい気持ちで受け止めることのできる精神が形作られ、
未来を受け取る準備をする、
というサイクルが無意識のうちにあるのかもしれない。
とても女性らしい仕組みだ。
 
彼女の人生はまだまだこれからだ、という気運が強い。
若さゆえの、心配、恐れ、気負い、考え方、プライド、理想と現実のギャップ、
そういった世界に埋もれていて、
色々ともったいないことをしている感じがするのだけど、
若いとは、たぶん多いにもったいないことをする時期なんだと思う。
 
全ては時間が解決してくれる。
最近はそういう気持ちが強い。
 
所詮人の頭で考えることはたかが知れている。
未来は絶対に予測できない。
とはいえ、ぼーっと無気力で暮らすことは危険だけど、
色々なことに敏感にいれるように自分を鍛える事は有効だと思う。
 
頭の中と現実が乖離しているほど人は生き辛くなる。
何か世界を持って産まれてきているのであれば、
それを出すのが、その人にとって唯一の仕事であると言っても過言ではない。
 
私は友達に、「いつか三重県を出るとおもう」と、告げた。
それは、30歳を過ぎてからになるかもしれない。
30歳を過ぎてから三重県を出て一体どんな仕事に就くつもりなのかは、
わからないけれど、たぶん私は出るだろう。
そんな気がしている。
ただの願望かもしれない。しかしこの世は願望が全てだ。
いつか出るときまでに、私がするべきこと。
親との折り合いであるとか、私がもっと私に近づくことであるとか、
その辺りのことがもっと明確になってきたら、
ポン、と家を出ようと思う。
私がここで暮らしているのは私をきちんと捉えるための準備期間である。
そして時期が来たら、この場所を飛び出す。
そう考えるとしっくりくるし、なんだか気持ちが明るい。
 
まぁ、なにもかも全て、時間が解決してくれるだろう。
否応もなく。