純粋な悪意

どうしようもない気分になる。
このどうしようもない気分をなんとか表したいと思ったけれど、
どうしたらいいのか解らない。
泣くのが正しいかもしれない。
でも泣くのともちょっと違う。
泣くほど激しいものでもない。
ただ、「なんだかにっちもさっちも行かないなぁ」とおもったのだ。
どうも我慢したり、じっと耐えることに飽きてきたらしい。
ちゃんと受け入れてると思っていたのに。
 
きっと、いつだって自分の事をほっぽり出して、
誰かの為に何かをしようとし続けるんだろう。
どうしようもない家族を支えながら、
ほんとは出て行きたいと考えながら、
結局はどこにも行くところなんてないことを知りながら、
どこか違う世界をいつも夢見ている。
でも、ほんとはここで、ひとりで何かをしなくてはいけないことを知っている。
そして、さりげなく家族に支えられて生きている事も解っている。
ただ、「もー!」ってなったのだ。
そのうち、「もー!」ってなることもなくなることもちゃんと知っている。
早く大人にならなくちゃ。
頑張って無理するんじゃなくて、自然に環境に溶け込むのだ。
カメレオンの如く。
 
時代は巡っている。
先人は敬うべきである。
しかし明らかにもう時代遅れの思考回路を持っている人たちもいて、
彼らが若者の伸びやかな想像力の邪魔をする。
しかし、それがこの世で地道に歳を重ねてきた人々の権利だろう。
若い人は年配の人にとっていつだって宇宙人だ。
この世の常識、しきたり、大事にしてきたもの、
全部をないがしろにされたり、覆されたりするのは、
確かに嫌な気持ちがするかもしれない。
でも、それが時代の流れであるのだと、私は思う。
本当に平和で、自由で、愛に溢れている世界を創造する為に、
私たちは日々想像している。
 
純粋な悪意についての見解の相違。
他者を排斥したり、異分子を除去したり、
結局この世は、なにやら妙な人が産まれるのは確かで、
それは先天的な遺伝子や魂の問題なのか、
それとも後天的な要因よって造り上げられたこじれた思考回路が問題なのか、
難しいところではあるけれど、そういった諸々のことを理解し受け入れつつ、
それでも、貫き通してゆくべき世界があるはずで、
とにかく、私たちは明瞭になってゆくべきなのだ。
それぞれが、それぞれの世界を全うしていけるように、
色々な現実的な問題と立ち向かってゆかなくてはならない。
 
というようなことを、ほとんど無意識で書いてしまったのだけど、
無意識で書いてしまうことほど、
本当に私が言いたいことだったりするのかもしれない。