死について

最近色々な人が死んでいく。
といっても、人は毎日死んでいる。
人がこの世に産まれるのと同じぐらい、人が消えている。
それがサイクル。
私もその一部分だ。
 
芸能リポーターの梨本さん、
千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』の今敏さん、
ゲゲゲの女房のヒロインの弟たかし(星野源)(ドラマ内の話)。
梨本さんはよくわからないけれど、今敏さんはネットで遺言を読んだ。
すごく苦しくて、辛くて、悲しかった。
まだ生きたくて生きたくて仕方がないという情念が伝わってきて、
それでも、この世からベリベリと音をたてて無理矢理引き剥がされてるように、
消えてゆくしかないことを本人が受け入れられないのがわかるので、
それが苦しいのだ。
そういう死は辛い。
3ヶ月ぐらい前に余命を宣告されて死ぬって一体どういう気持ちなんだろうか。
それは宣告されて、実際に死を目の前にした人にしかわからない境地だろう。
やはり若い人の死は悲しくて、辛い、ちっともさっぱりしない死だ。
本人の「もっと生きたい」という無念が一番辛い。
周囲の人間もどうしてやることもできない。
それこそ“沈痛”という言葉がよく合う。
今朝起きて、いつものようにゲゲゲの女房を観ていると、
ヒロインの弟たかし(星野源)が、釣りの最中に波に飲まれて死んだ。
あまりにもあっけない展開に「えー!?」とおもった。
そして不謹慎ながらすごく笑えた。
そこで死ぬの!?と面白くて面白くて仕方がなかった。
もちろんちっとも笑える場面ではない。
大杉蓮は迫真の演技を見せている。
しかし、私はおもしろくて仕方がなかったのだ。
遺影の写真がまたすごい笑顔の星野源で、まるでコントだと思ったのだ。
人が死ぬことで笑えることもあるんだな、とちょっと思った。
それは、星野源が死ぬ役というのがおもしろかったというのもあるけど、
やっぱり、現実でもそういう死に方がしたいな、と思った。
この世に残した人たちに安心してもらえるような、
笑いの種になれるような、そんな死に方。
どうやったらそんな風に死ねるかはわからない。
でも、この世に何かやり残しがあるような、まだまだ執着を持ってしまうような、
そんな気持ちで死んでしまうのでは、たぶん周りも辛くなるのだと思う。
どうせ死ぬなら「いやー死んじゃうわ、わたし。あはは。」
というノリで死にたい。
「ちょっと行ってくるね」とか、
「じゃあね、また会おう」とか、
そんな言葉を残して、カラリとした後味を残してこの世を去りたい。
飛ぶ鳥あとを濁さずだ。
どうせ人が悲しがるのは一瞬で、あとは自分の人生で手一杯になるのだから。
そういった意味でも戦争や事故で死ぬのだけは避けたいものだ。
どうしても無念や未練や執念でいっぱいになってしまうから。
しかし死はおそろしい。
まず、死ぬ瞬間がどんな感じなのか、死んだらどうなってしまうのかが、
ちっとも解らないのがおそろしい。
しかしいつか全員にやってくる死。
それをどう乗り切るかが、どう生きるかに繋がっていくのだろう。
たった一度きりの人生、命。
丁寧に、じっくりと味わって生きていきたいものである。