わたしに足りないもの

たぶん、やっぱり、『mother』シリーズだという結論に至る昼下がり。
『mother』をやったことのある人生と、やったことがない人生、
何が違うのかと言ったらよくわからないけれど、
私にはどうしても必要なエキスなような気がするのだ。なんとなく。
近々DSを買おう。
そして、ひさびさにRPGをやるんだ。よし。
 
昨日車で伊集院光のラジオを聴いてからというもの、
落語が聴きたくて仕方がなくなったので、
以前から聴かなくてはと思っていた桂枝雀さんのDVD付きCDを借りてみる。
 
なんだろう。
私はどうも天才的な発想でもって物事を突き詰めて考えてしまうが故に、
非常に脆い精神を持っている男性に注目してしまう。
桂枝雀も、マイケル・ジャクソンも、宮沢賢治も、
まぁ、他にもたくさんいるだろうけど、
多くの人の心を鷲掴みにするにするような力を持った
本物の表現をする人というのは、
その裏側にものすごく重たいものを背負っているように思う。
それこそバランスを取るように神様が与えたみたいだ。
もしくは本人が自ら苦しみを背負い込んで、
その反動でよりいいものを排出しようとしているみたいだ。
そういう事を考えているとどうにもならない気持ちになる。
 
組み合わせが全てなのだ。
新しいものと出会うということは、
新しい組み合わせが出来るという事で、
その中でもとっておきの組み合わせが出来るのは、
ほとんど奇跡みたいな偶然で出てきていて、
でもほんとはそれは偶然ではなくて必然だったという、
ウソみたいなホントみたいな、そういう現実であり、
リアリティで持って人生は進んでいる。
 
要は何にリアリティを感じて生きているのかという事。
そのリアリティは千差万別。
たった一人で自分で自分を極め続けることの中でしか味わうことが出来ない。