偶然を待つ


今日は仕事で四日市方面へ。
パン屋2件と、カフェ1件。お昼ごはんにカレー屋さん1件。
上の画像はお昼に立ち寄ったカレー屋さん。
前から気になっていた店。
昼はカレー屋、夜は居酒屋。
ときどきイベントもしたりする、こじんまりとしたいい店。
カレーもスパイスがきいていておいしかった。
カレーの写真を撮るのを忘れた。
 
最後に寄ったカフェもいいお店で、
本棚に村上春樹の本があったので店長に思わず、
今読んでいるインタヴュー本を強く薦めてしまった。
取材そっちのけで熱く語る姿をみて、同行していた編集長に呆れられた。
三重県でも北勢はわりとオープンな空気が漂っていて、
なんかいいなーと思ったけど、
伊勢は伊勢で、閉塞的ななんとも言えない空気が漂っていて、
それはそれでいいのかもしれないな、と思ったり。
「新しい出会いとかいらないよ」「ずっと家にいたいよ」と思っていても、
地元から少し足を伸ばして、今まで行った事のない土地に出向いて、
色々な人に出会い、「ここにはこういう人たちがいるんだな」
と、確認して話を聴くという作業は、
今の私にとって結構重要なことなのかもしれない、
と、ふと思った。
ちょっとずつ、世界が変わる。
 
村上春樹のインタヴュー本はかなり読み応えがあり、
3日間のうちの、1日目をようやく読み終えたところ。
どうして村上春樹がカルト的に人気があるのかという点が、
具体的に見えてくる本だと思う。
 
それは、普通の人が普通に成長する過程の中で、
どうしても無意識のうちに傷つけられ、ねじ曲げられ、損なわれていく、
という現実、ただその現実を忠実に表しているからだと思う。
この世界で生き抜くために、学校から親からの知恵によって、
私たちは自分自身をカスタマイズする。
自分を切り抜いたり、付け加えたり、とにかくもとの自分をぐちゃぐちゃにして、
変化させてしまうのだ。
それによって大きく自分自身を傷つけることになる。
それは痛みが感じられないほと小さいうちに、とても自然に実行される。
そしてそれが成長であると思い込む。
しかし、村上春樹の本を読むと、そうではないことに気付かされる。
いつのまにか全部を自分の頭で考えて判断していないことも知る。
そういう経験が少しでも身に覚えのある人に共鳴するのではないかと思う。
村上春樹も、よしもとばななも、河合隼雄も、
そういう人間の無意識の傷を知っている。
そして、そういう類いの傷は、
時々、妙な形で世界に影響を及ぼすことも知っている。
だから物語を書く。
痛みを伴いながら、少しずつ、傷つけていた時間と同じだけの時間を使って、
自分が自分に帰っていく。
そんな風にして、自分を慰め、同時に他人も慰めることをする。
他者の存在をまるごと包み込むような理解力。
つまり人間を知ろうと努め、より理解が深まること。
それが愛ではなくて、なんであろう。