透明で大きくてまるごと包むもの

私よりもいくつか年下の既婚で赤ちゃんを抱えた奥様が言っていた。
「髪が長い方が男ウケがいいので切った事ないです」
それか!
と、納得した。
本当に髪が長いほうがモテるかどうかはわからないとけれど、
この発言は、基本的に生きていく姿勢が参考になる。
まず男ありきなのだ。
それを堂々と発言していることに私はひどく感動し、
この奥様にかなりの好感をもった。
 
好意をもった異性に、よく思われたい、
というのは、当然の感情である。
よく思われるためにはどうすればいいか、
というのは、実は考えるまでもなく、
全ての行動に自然とにじみ出ているのではないかと思う。
私がこうやってブログを書くのも、
「こんな風に物事を考える女なんですよー」
と、外部、つまり世界中の人にアピールしているのである。
そしてその裏には、
「いいこと考えてるでしょー、いい趣味してるでしょー、楽しい女でしょー」
という他人に認められたいという欲望が渦巻いている。
自己愛だけでは留まらず、他人の愛も欲しいと考えているのだ。
はっきり言って全ての表現がそれだろう。
自分の中から沸き起こる世界、抱えている世界、
それを表に出し続ける事は、生きている事と同義なのだ。
愛され続けるために、表現し続ける。
愛されていないと意味がない。
 
私は愛して欲しいと求められたら、大抵それに答えるようにしている。
まず全力でその人のすべてを受け入れるようにする。
それまでしてきた努力であるとか、考え方、それを理解する。
理解したらあとは同調する。
私の愛し方はそういう方法だ。
というか、多分、世の女の人はそういう風にしているのではないかと思う。
その中で、我慢できる事、我慢できない事が出てくる。
その内容によって、留まったり、離れたりする。
透明で大きくてまるごと包むもの。
それが女の本質なんだと思う。
これまで何人かの男性に求められ、
それに答えたり答えなかったりしてきたけど、
今のところ死ぬまで留まっていたいと思える男性には出会っていない、
というのが現実だ。
一緒居るとだんだんと「この人じゃない」
という気持ちが強くなってくるのが相場なのだ。
その気持ちを隠すために、一段と固執してしまったりもする。
そういう風に、いったん恋をすると自分自身がぐちゃぐちゃになって、
多大なエネルギーを注ぎ込む事になる。
結果その中から色々なものを得る。
時間が経験を運んでくれる。
 
まぁ、本当にしっくりくる人なんて、
そんなに簡単に現れないほうがロマンチックだし、
まだ私になにか努力が足りていないものがあるから、
出会わせてもらえない、というのもあるかもしれない。
 
つまり、恋をするのは簡単だ。
思い込めばいいのだから。
しようと思えば、全ての異性と恋ができるかもしれない。
要は、その人のいいところだけをじっと見て、守ってあげたいなー、
とか思えばいいのだから。
しかし、結婚になるとまた話が違う。
とにかく他人が絡むと人生はとたんにややこしくなり、
多大なエネルギーを費やす事になるのだけど、
これほどおもしろい事もないのではないかとも思う。