こぼれおちる世界

言葉にした途端に中身がなくなっていく思い。
ペラペラとしゃべっている割に、
何もしゃべっていないような気がしてくる。
肝心な事はいつも言語化できない。
しかし、それでもあえて言葉にしようと試みるとすれば、
「もっと素晴らしい世界が世の中には隠されていて、
せっかく生きているのなら、それを見てみようよ、
私だったらそうするなぁ、あくまで私という基準だけど」というような事だ。
 
この世には理屈の通らない事が起こるということ。
人と人の出会いや別れもそのひとつだ。
よくわからない引力が働いて誰かと出会う。
よくわからない引力が働いてお互い惹かれあう。
そしてよくわからない引力が働いてはなればなれになる。
ああだ、こうだとその人に惹かれる理由を連ねたところで、 
全て後付けなのだ。
誰かにどうしようもなく惹かれてしまって、
わけのわからない引力が働いていると感じているのであれば、
その力に従ってまずは動いてみるしかないだろう。
 
宇宙は実に精密に出来ているのかもしれない。
エネルギーとエネルギーが出会って、
なにかお互いにいい気持ちがするのであれば、
それに従って一緒に居ればいい。
恋愛とか結婚とか、そんなのは人間が勝手に創ったただの言葉だ。
そんな言葉に振り回されて、
疑ったり、探ったりする事に忙しくなってしまうのは、
なんかもったいない、という気がする。
しかし、人を好きになるとその人のことをあれこれ考えてしまうのが人だ。
考えるようになっているのだ。
それが好きだという事なのかもしれないけれど、
誰かに話をしない方がほんとはいいんだと思う。
うまく言葉にできないのなら、無理矢理言葉にしようとするんじゃなくて、
もうしばらく自分の中に大切に保持しておく。
言葉は思いが溢れた時にどうしてもこぼれおちてしまうもの。
そういう美しいものであって欲しいという気持ちがどこかにある。
それでも誰かに喋りたいというなら聴くけれど、
たぶん、その行為はそんなに意味がない事のような気がする。
話す事で自分の気持ちが落ち着くというだけで、
答えは他人の口からは絶対に出てこないだろう。
黙々と地道に自分の中で気持ちを吟味する綿密な作業の中にしか、
自分が本当に求めているものの答えはない。
 
これは、恋愛に限らず、人生における全ての事に関して当てはまるのだろう。
私はたぶん、誰にも相談せずに、全てを判断する。
これからも、そして今までも。
他人のアドバイスほど当てにならないものはないことを知っているからだ。
世界は一人一人の実感で出来ているから。
そういった意味で人はどこまでいっても一人きりなのだ。