熊野古道

大学生の頃からずっとブログをチェックし続けている画家さんが、
紀北町やってきていて、しばらくの間、制作の為に滞在している。
毎日、熊野古道にも行っているらしい。
今月中に展覧会も開く予定のようで、
そういうのってとても嬉しい。
展覧会に行くついでに私も一度熊野古道を体験してみようと思う。
ちなみに熊野古道とは、
“2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコ世界遺産
文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。
このような「道」が世界遺産として登録された他の例には、
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(文化遺産、スペイン)がある。
道が世界遺産として登録されること自体はまれである”
 
熊野古道を歩く事で人は何を感じようとしているのだろうか。
山を歩くとはどういうことか。
歩きながら人は何を考えるのか。
森や山には一体何があるのか。
体ごと俗世から離れて、自然の中に心も体もまるごと身を置く事で、
感じる世界がきっとあるのだと思う。
山そのものに神を見出そうとする事。
そういう事は、どんなに科学が進歩しても、
変わらずに人が求め続けるものなのだ。
熊野古道世界遺産に認定されたのは、
山の中を人が歩く、そのことに信仰を見出した、
日本人の精神性にあるんだと思う。
私たちは海や山に癒される事もあれば、命を失うこともある。
自然とは、つまり神という存在はそういうものなんだと、
つくづく思う。
そういった点でも、神が創ったものを、つまり自然を、
人間のエゴで切り崩すという行為は、
本当に恐ろしいことのような気がしてならない。
熊野古道に行ったらそういう事を、
久しぶりに肌身で感じてこようと思う。
 
ねじまげないでそこにあるということ。
私も世界も。
つまりそれが自然で、それが神そのものなのだ。
 
謎の樹と、
うどん屋さんのミルクティージェラート。激うま。