検索少女

やっと重い扉が、ギギギと動いた。
すごい、すごい。
こんなにも世界がくっきりと成る文章と出会えた。
載せておく。
“遠い声”より。
 
 日本人は神代の頃から変わっていない。
 
 今の世の中を覆っている危機なり閉塞感は、
 べつに今に始まったことではないのかもしれない、とも考えられるのだ。
 ならば「古事記」の神々のように、我々は自然との交感、
 あるいは死者との交感の中で生きていることを忘れないようにすることが
 いちばん大切なのではないか、という気がする。
 そして、外界に存在する自然や死だけではなくて、
 我々の肉体や精神の中にあるそれを大事にしなければならないだろう。
 この危機は、その心掛けでなんとか乗り越えることができるように私には思えてくる。
 あまりにもせっかちで幼稚な、
 この時代の表層に我々はだまされて苦しんでいるだけなのかもしれない。
 それこそ「消化不良」や「食あたり」、あるいは「自家中毒」なのだろう。
 
 結局、 生きている人間どうしが電子メディアだけで つながったところで何の救いにもならない。
 幸福はそれとは無関係なところにあるはずなのだ。
 我々はそれに気がついてもよい頃だと 私は思う。
 
 無力なくせに傲慢になりがちな我々は、
 どこか深いところからやってくる遠い声を聴こうとするように努めるしかないような気がする。
 
ブログを初めて太字を使いました。
それぐらいに、この言葉は、ものすごい説得力でもって、
私に迫ってくる。
このことを知っている人生と、知らない人生では、
全く異なるものとなる。
 
とある、写真家さんの文章より抜粋した。
植木等さんをネット上で旅した先の出会いである。
ああ、なんてよき日。