見えるもの見えないもの

自分で自分の人生の物語を掴めている人は強い。
 
こうだと思って突き進んでいたのに、
ふと立ち止まってしまって、どこにも進めなくなることがある。
迷子になる。
それは自分が考えていたストーリーが
自分の人生に当てはまらなくなるからだ。
それ以上の発想を、方向の転換を迫られている。
どこからともなく、問いが出される。
そこで人間とは孤独だと切実に痛感する。
誰も答えは出してくれない。
たった独りで導きださなくてはならない。
実は全ての人間が日々その問題と格闘している。
 
周囲の人をどんどん突き放して生きたいと思う。
そしてそんな自分を恥じたり、間違っているんじゃないかと、
疑ったりすることはもうやめようと思う。
自信とは違うけれど、そのような自分の中の自然を守ろうと思う。
一定の勢いでもって自分の中で流れ出す世界があるのなら、
そのまま流れていこうと思う。
 
私はただもっと自由になりたいと思う。
世界を自在に動き回って、満足に近づけたらいいと思う。
 
人はただ見たいものを見るために生きているに違いない。
 
飛びたくてもうまく飛べない。
そんな人を眺めていると悲しくなる。
鳥に憧れて、鳥になろうとするけれど、
何かが足りない。
それがなんなのか私は知っている気がする。
ただつっかえを外せばいいだけなのだけど、
思い込みや偏見によって足止めしている。
そのことに本人は気がついていない。
どうやって気がつかせばいいのかよくわからない。
歯がゆい気持ちになる。
 
広い世界を自由自在に飛び回りたいなぁ。
その術を身につけたいなぁ。
そしたら世界はすぐにでも何にでもなれるのに。
 
私を足止めしている物は一体なんだろう。
きっと何かを思い込んでいて何かを偏見しているのだろうけど、
それがなんなのかよくわからない。
 
それか単に臆病なだけなのかもしれない。
 
高いところを飛び回るのは気持ちがいいことをこんなにも知ってるのになぁ。
ずっと遠い昔、私は世界中を飛び回っていたような気がする。
何にでもなれたし、どこへでも行けた。
あの時の果てしない自由への憧れにより、
私はいつでもここではないどこかへ思いを馳せるのだろう。