新しいものは懐かしい

朝から山への想いを募らせつつ、今日は映画を観てきた。
 
安藤モモコ監督の『カケラ』。
ふと新聞の映画欄を眺めていると、
ポルノ映画館の卑猥な言葉の羅列の横に『カケラ』の文字を偶然にも発見。
伊勢でやっと公開したことを今朝知り、そのまま映画館に直行。
車の中のBGMは細野晴臣HOSONO HOUSE』。我ながらいい選曲である。
とてもよい映画でした。
 
新しい時代の感覚とでもいいましょうか。
男がいる、女がいる。
恋をする、付き合う、セックスをする、そしてマンネリ化。
という普通の感覚が、もうちょっと色褪せてきている、
というようなこと。
「付き合うってなに?」というか、
なんかそういう感覚が、言葉にならなくても巷にはもんもんと広がっている。
胸にぽっかりと空いた穴を塞ぐ方法は多種多様で、
千差万別、じつに自由なのだ。
 
例えば私は今、山に夢中だ。
この気持ちは恋に似ている。
山が私の気がつかなかった隙間を満たしているし、
知らなかった世界を教えてくれている。
山と付き合っていると、人の軽薄さや小ささ欲まみれの世界が、
浮き彫りになってくる。
自然とそういうものに翻弄されて生きるのはもう嫌だ、
という気持ちが高まっている。
そういうものとは関わりあわずに、
なんとか、他人の綺麗な部分だけと付き合っていけたらと
思うのだけど、なかなかそうはいかない。
そもそも、私自身が軽薄で小さくて欲まみれなのだから仕様がない。
山にはなれず、でも山的なものを出来る限り吸収したいと思っている。
 
生きているのだから、
なるべく自分が気持ちがいいと思うことに触れたいと思うのは、
当たり前の欲求だ。
どんどん強く、正直になることは、孤立することを意味するけれど、
孤立なんてちっとも怖くない。
言いたいことを言うし、やりたいことをやる。
それが生きていることの大前提なのだ。
 
そういう気運の人が世の中に増えてきている。
レディガガもMIKAも同性愛者であることを公言している。
これはもう、新しい時代の流れの確かな一部分として、
受け入れていかなくてはならない事実なのだ。
そういうものを受け入れられない人間は、時代から取り残されていくし、
なによりも、物事の本質も見抜けないだろう。
人間の精神の新しいカタチを表出させていく作業は、
未来をより豊かな方向に導いていくと思うし、
世界はより健全なものとなる。
そして、そこにはエキセントリックなものはなくて、
ただ懐かしいという感覚がじんわりとにじみ出ているものなのだ。
 
監督、脚本の安藤モモ子と、主演の満島ひかり中村映里子
この3人が織りなす世界は、新しい時代を築き上げる女の子の魅力が、
たっぷりと詰まっている。
愛ってどういうことか、よくよく見つめさせられる映画だ。
そこにある葛藤も、すれ違いも、全部が本当だ。