33な日

今日はチリで33人の作業員が救出された。
出勤するとタイムカードが差してある棚の番号が偶然にも33。
車のナンバーは33。
大学時代の学籍番号は33番だった。
と、いうわけで33はなんかわりと人生で眼にとまる数字なので、
勝手にラッキーナンバーにしている。
そんなことを意識した日。
 
東京に遊びに行ったとき、友達が車の中でとても感じの良い曲をかけていたので、
「誰の曲?」と聴いたらダブダブオンセンだった。
ライブ行ったことあるよー!とテンションもあがり、
また行きたいなーなんて思って友達に話していた、
その前の日になんと三重でライブをしていたことを今日知った。
いやー惜しいな。また来て欲しい。
アルバム超いいし。買おうかな。
 
そういえば、友達がかけていたドリアンの曲がとても良かったことを、
ふと思い出した。
アルバム欲しいな。買おうかな。
 
人が考えることって全然変わらないんだなー、となんとなく思う。
つまり思考パターンというか感じ方はどれだけ歳を重ねても、
それぞれどうしようもなく決まっている、というようなこと。
つまり人は皆どうしようもなく逃れることの出来ない個性を持っている。
斜に構えて考える人は、いつまでたっても斜に構えた考え方から抜け出せないし、
ものごとの暗闇ばかりに目がいきがちな人は、常に暗闇を見ているし、
つまらない人は、いつまでたってもつまらない。
多分死ぬまでつまらない。
(このつまらないは、私にとってつまらないだけであって、
他人にとってはおもしろいことなのかもしれない。)
そういう所に他者との絶望的な断絶を感じるけれど、
別に悲しくはない。それで当たり前なのだ。むしろ心は軽やかだ。
変化なんてウソだ。私たちは変化しない。
一定のカメラ位置から眺め続けることしか出来ないし、
そんな風に決められている。
それがこの世で決められた立ち位置なのだ。
  
妙に力がある人の文章は、頭の中のカメラをその人の考え方で、
固定されてしまい、鳥肌が立つほど嫌なのに、
なかなか戻れなくなってしまい、そういう文章は読むもんじゃないな、
と思うが、読んでしまうのはなんでだろう。