人生は愉快だ

池田晶子さんの『人生は愉快だ』を読む。
難解と思われがちな哲学をわかりやすい言葉で、
ひたすら考え文章を書き続けた人。
2007年に腎臓がんで亡くなっている。
 
私はこの人の文章に出会う事は必然だったとそう思っている。
というか、全ての出会いは私にとって必然だと受け止めるたちなのだけど、
今回はまったくもってそう思わざるを得ない。
 
いい出会いは、私の中の滞った流れをいい方向に変えてくれる。
線香の煙みたいにゆらゆらと頼りなく立ち上っているそれが、
ビューっといい風が吹いていい所に流れていく感覚。
その感覚が気持ちよくて、私はいつも新しい風いい出会いを
追い求めてしまうのかもしれない。
 
池田晶子さんのシンプルで奥深い思索は、
私をとてもリラックスさせてくれる。
この方向でいいんだと、背中を押してくれる。
この本の中には考える事の楽しさがたくさん詰まっているのだ。
 
ゆっくりと自分の思うままに深く考える事にこそ、
真の豊かさがあることや、心の贅沢さを教えてくれる。
優雅に美しく考えは伸びていく。
ソクラテスプラトン老子荘子など先の偉人達を友人のように近くに感じ、
言葉のひとつひとつを丁寧に考える。
本質を追い求める。
それは池田さんなりの愛のカタチのような気がする。
 
死ぬとか、生きるとか、愛とか、
普通に使うその言葉そのものを私たちは理解しているようで、
全く理解していない、ということに気が付かされる。
言葉以前のそれ。
色んな角度から語る事ができて、
そして正確にはそれの全体を全く把握できないこと理解するのだ。
 
私が特に池田晶子さんが好きなのは、
女性である事をあまり感じさせない文章だ。
現代の恋愛至上主義の流行を冷静にかつ客観的に眺める視線も好きだし、
色んな物事の見方が浮き彫りになって、
公平に世の中を眺めていて、そういう感じが好きなのだと思う。
みんなが飛びついて思い込む、
それ以前の世界を独りで重ねて考えている姿勢に共感する。
 
ほとんどの情報は時代の流行なのだ。トレンド。
いずれまた別の流行が現れる。
ほとんどの人がそういったものに飛びついて流されていて頼りない。
それも人生だけど、一方で池田さんのように、
時代に動じない世界もコツコツと築いていきたいと思う。
池田さんの本はもっと読まないと。
本質を考えることはとても楽しい。
音楽を楽しんだり、小説を読んだりするのとはまた違う脳が働いて、
違う世界が広がっていく。
それが歳を重ねる事だし、人として豊かになることだと思う。
 
きっと私たちは本当に根本的なことを全部すっとばして生きていて、
形式だけ真似して、物事を語っているんだと思うと、
なんて雑な生き物なんだろうと思う。

さよなら人類好きだなー。