海のちから

今日はNHKスペシャルの「クジラと生きる」を観る。
アメリカ大陸に上陸して先住民を駆逐した白人の傲慢さがうかがえる。
やっぱり脳みその構造が根本的に違う気がした。
でも日本にはすでに白人の思考回路が自然と輸入してきていると思った。


土からはなれ、海からはなれ暮らし、
私たちの心は荒廃し、貧しくなってきたと思う。
それは私自身がそう感じるからだ。


私はつくづく都会では暮らせないと思っている。
暮らしたいという気持ちはある。
人は楽しいし、優しいし、おもしろい。
都会には田舎にはない、豊かさがあるのは間違いない。
しかし、私はいづれ耐えられなくなるだろう。
酸素不足で呼吸困難に陥るみたいになって、
暮らしていけなくなる。


とはいえ、田舎でも呼吸困難になる可能性は大いにある。
色々と自由にならない部分や、つまらない部分、
見たくもない現実が差し迫ってくるからだ。


でも、私はそういった現実を見ながら、田舎で暮らさざるを得ない。
「そうなっている」
「そうなるのが自然なのだ」


私の心の中にうごめいているざわめきや、
名前のない気持ち、色のない感情、言葉に出来ない風景、
確実にあるそのエネルギー体と私はいつも遊んでいる。
いや、とっくみあいのケンカをしている。
名前がないからそれら全てに「不安」とういう言葉を当てはめているが、
よくよく向き合ってみるとそうではないのかもしれない。


海に行くと、ぽっかりと無くなる。
得体の知れないそのエネルギーはどこかに消え去る。
「ああそうか」
とぽっかりと何かが解った気になる。
霧が消え、命の実態が浮き彫りになる。
そうなると不安も何もない。
きっと昔の人々はそんな風にして自然の力を借りて、
すっきりしていたのではないかと思う。


本当は全部解っているのかもしれない。
でも解らなくなるようになっている。
いつもああでもない、こうでもないと、
雑念を拾い集めて、よくわからない気持ちになっている。


でもそうじゃない。
そんな風になるまであとどれぐらい生きればいいんだろう。
私はまだ格闘している。
色んな気持ちや、色んな欲望と。