さむい朝

ずっと「朝顔プランターで育てたいなぁ。」と思っているんだけど、
プランターに何個植えたら妥当なのか、
どんな品種の朝顔を選べば良いのかわからないから、
もう少しインターネットで調べてみたほうが懸命だし、
午後から雨らしいし、明日も雨だし、
そもそも今日は休日で人が多そうだから、
ホームセンターに行くのは晴れた日の平日にしよう、
なんて先延ばしにしてみたりしている。


ずっと「人と関わり合いがなくなったらさみしいよなぁ。」と思っている。
でもほんとにさみしいかな、意外と平気なんじゃないかな、と思ったりもする。
というか、人と関わり合わないことで、
自分の存在価値というか、他者認識が希薄になり、
なんだか心もとないというか、この世に全く必要のない人間なんじゃないか、
と考えたりしてしまうのは、多分なにか近代的思想に毒されているんだと思う。
ツイッターとかミクシィとか、
趣味が似通っている他人と繋がり合うことが絶対的価値みたいになっているけど、
「ほんとかな。」と考える。
そもそも人からそんなに求められることもないので、
いつも暇だし、頭の中も空っぽだし、空っぽの分何かで埋めたがったりして、
ああ、毒されてるな、と思ったりもする。
何も思ってないし、何も考えていない時間こそが、
自分を生きているその真っ最中なのではないかと思ってみたり。


猫はいつも寝てる。
人生というか猫生の80%は寝てると思う。
時々目を覚ましてエサを食べて、
うんちとおしっこをして、体をキレイにして、
部屋の中をぐるぐるまわって、
「つまんねーな、まじ」と悪態をついて、
また寝る。
外敵もいないし、食べるものにも、寝る場所にも困っていない。
そういう日々だ。


不安を探せばいくらでも見つかる。
将来のこと、地球のこと、原発のこと、政治のこと、お金のこと。
不安さえも、暇つぶしのうちのひとつであることに気がつく。


猫を看取り、両親を看取る。
それ以外にするべきことは私にはないように思う。
働いてお金を稼いでくる。
畑を耕して野菜を育てる。
好みの音楽を聴く。
なるほどなと思える本を読む。
ははは、と笑えるテレビを観る。
インターネットで他人の動向を観察する。
これからもそれを繰り返して静かに生き伸びるだけだろう。


世界を小さく、コンパクトに。
私の世界はどんどん質素になり、
最終的に何もなくなっていく。