いちょうの実

大島弓子さんの文庫版「夏のおわりのト短調」と「ロングロングケーキ」を読む。


大島弓子さんや、山岸凉子さん、あと美内すずえさんらが持つ、
少女漫画の枠を超えたその世界観に私はいつも圧倒されるし、
読んでいると、日々の不安感や焦燥感、そしてイライラが消えてなくなる。
これは私にとって一種の精神安定剤だと思った。


予知夢、超古代文明、神話、思春期、宇宙人、などの素材を、
うまく料理して描かれている。
また大島弓子さんは宮沢賢治の「いちょうの実」という作品を漫画にしている。
最初、宮沢賢治だと気付かなくて、宮沢賢治っぽいなぁ、と思っていたら、
やっぱり宮沢賢治だった。
宮沢賢治には独特の台詞回しがある。
例えば、
「僕、水筒に水をつめておくんだった」
「僕はね、水筒のほかにハッカ水を用意したよ」
という台詞を扱える人間など人類史上、宮沢賢治の他にいない。
あと「おっかさん」である。
「おっかさん」が出てきた瞬間に宮沢賢治がふっと現れる。
そんな風にして宮沢賢治は、
母親を表現するたった5文字の中にさえ、いまだに生き続けている。
大島弓子×宮沢賢治は本当に素晴らしいコラボレーションだと思う。


夢をみた。
私の世界はいずれ終わるということが切実に迫ってきた。
全ての世界はいずれ終わる。
しかもそれはそう遠い未来ではない。
その感覚が今まで味わったことないリアリティを持って迫ってきた。


苛立ちや、憎しみも、
生きているからこそ感じるものであって、
死んでしまえばそんな感覚も無くなってしまう。
そう考えると嫌な気持ちも愛しくなる。


人生とはただ、巧く生きることを求められていて、
美しさなんてどうでもいいのかもしれない。
目立つことをして、一定の評価を受けて、ちやほやされて、
他人に愛想を振りまく。
愛想を振りまけば、愛想が返ってくるのは当たり前である。
人は自分の為に愛想を撒く。
そこにあるエネルギーの交換に吐き気がする。
私は何も出来なくなる。
ひねくれているのか、あまのじゃくなのか、
自分でもわからない。
ただ無性に人間のその行為に嫌気が差すことがある。
神経が敏感になり、鋭利になると、
ささいな事で感情が激しく波打つ。
醜くてみっともないが、その激しさの中でしか観ることが出来ない世界もある。
誰にも迷惑をかけたくないなら、誰にも会わない事だ。
そうすれば、心は自分が好きな世界だけを一方的に追いかける事ができるからだ。
世の中の当たり前は、当たり前ではない。
十人十色、千差万別の当たり前の世界がある。
それが「この世」のおもしろさである。