溢れ出した黄金

現実というのは、それぞれが引き寄せているものである。
それは起こり、私たちを喜ばせたり、悩ませたりする。


家族という社会を考える。
私は家族について考えている。
家族はそれぞれの個性と思考をもってそこにいる。
そして共に暮らしている。
大切にしているものも、本当にそれぞれだ。


家族は時々私を苦しめる。
もしくは私が家族を苦しめている。
お互い様だ。
私は家族を脱したい。
しかし脱することが出来ない。
これは一種の暗示と呪いのようなものだ。
そしてそれは別の名で愛と呼ぶ。


グレートマザーという概念がある。
それは国で言うと天皇のようなものだ。
そしてそのバックにあるのは天照大御神
「日本人」はそこから産まれてきた。
私たちはそれらに否応なく愛を献上する。
一目みると懐かしい気持ちとなって涙する。
戦争のときは家族の為、母なる日本の為に命を捧げる。
震災にあえば日本の為にひとつになって修復しようとする。
グレートマザーが働く力は大きい。


愛国心」について議論している番組を観た。
愛国心とは母親を愛す気持ちと同じだ。
気がついたらそこにあるもの。
つまり自分自身を産み育ててもらったもの。
それに対する絶対的な愛である。


私たちは愛で苦しむ。
愛は憎しみに変わる。
心は変化する。
色々な側面をみる。
いや、観させられる。
くるくると色が変わり、どちらか一方が正しいなんてことはないことを知る。
しかし、感情はどちらか一方にしか動かない。
右往左往、七転八倒を繰り返し、
状況によって感情が変化することを知る。


出会うのも、惹かれるのも、拒まれるのも、受け入れられるのも、去るのも、
全てが、何か大きなものによって動かされているのだと知る。
ただ力を抜いて、展開されるめくるめく世界を眺めるしか他ないのかもしれない。