近未来

3.11からそろそろ早4ヶ月。
震災が精神にどのような影響を受けたか考えてみる。


仏教への関心が高まった。
私だけなのだと思ったら様々な雑誌が仏教を取り上げ、
書店も仏教関連の本を店頭に並べている。
それだけ需要が高まったということだろう。
生きていること、死んでいくこと。
理不尽な恐怖にさらされること。
それらに対する根本的な疑問や不安を取り除きたいという、
欲求の現れなのだと思う。
宗教の世界に目覚めていく人々が増える一方で、
音楽に対する認識がより強まっているというか、
のめり込んで行くような傾向があるような気がする。
音楽をしている人間は「音楽は裏切らない」と音楽を絶対的なものとし、
音楽を聴いている人間は、ますます音楽を欲している。
音楽に生きていくことの救いを求めている。
つまり音楽がますます宗教的側面が強まっているような気がする。
どんな形で人生に音楽を取り入れるかは人それぞれだけど、
人生の大部分を占めている傾向が大きくなっている。


結婚への欲求が高まった。
「いつでも結婚できる」と思っていた若いカップルが、
震災後に結婚を決めたり、独り身の人間がパートナーを求める動きが増えているという。
単純に、世界がいかに不安定なところに日常があるかということを知って、
何かあったときに、誰か信頼できる人間とともに暮らしたいという欲求なのかもしれない。
普段、抑えられていた本能が危機感によって活性化され、
大量の人間が一度になくなった情報を受けて新たに増やそうという、
遺伝子レベルの欲求のような気もする。


どこかに狂いが生じてきた。
あり得ないミスや、あり得ない失言が当たり前の世の中になってきたと言える。
そもそも政治家からしてもうおかしい。
おかしいということにも気がついていないぐらいにおかしい。
みんな平静を装っているけれど、
内面はそうとうなパニック状態で過度なストレスを受けているのかもしれない。
そうやって自分の疾患に気がつかないうちに、
私たちは狂っていき、その狂いさえも当たり前になるのだろう。


「考える人」という雑誌がある。
過去に村上春樹のロングインタビューや、仏教を特集している。
今回梅棹忠夫さんという方の特集だった。
梅棹忠夫さんは日本における文化人類学者のパイオニアで、
独自の文明論を説かれている知の巨人である。
梅棹さんは高度経済成長期、サラリーマンの夫を専業主婦という形で家庭を支える妻が増えていく時代に、
「妻無用論」を唱えていて、当時の主婦達から猛抗議を受けている。
しかし今では独身の世帯が3割を越えて、夫婦と子どもがいる家庭を上回っているそうだ。
そんな先見の明がある梅棹さんは、
人間の未来について、滅びる運命にあると言っている。
人間は脳が発達すればするほど、つまり文明が栄えていくほど、滅びる運命にあるという。
妻は要らない。つまり子どもも要らない。
これは頭が良くなればなるほど、考えれば考えるほど、
やはり面倒な存在なのである。
解っている「苦」をどうして選ぶというのだろう。
つまり生身の女は男にとって「苦」の対象でしかない。
そして男達は2次元の女の子に走り、アダルトビデオの女の子に走り、
TENGAという商品を開発し、ますます3次元の女は出番がなくなる。
女はそれがわかっている。
だから、あの手この手で勝負にでる。
2次元の女の子の真似をしたり、過剰にエロくなったり、かまって欲しくて必死なのである。
全ては種の保存をする為だ。
本能の命ずるままにやっていることだ。
こちらは変幻自在。信念もなにもない。ぐにゃぐにゃと掴みどころのないのが女だ。
文明が栄えれば栄えるほど、つまり男の脳が発達すればするほど、
こちらが取るべき行動も難しくなる。
女は追いつめられる。静かに精神は蝕まれ、突如発狂する。
我々は発狂する。気が狂う。
現実に、現代に、この世界に。


そして女も男が要らなくなる。
女の自意識が異常に発達する。
男の存在が気にならなくなる。
好き勝手いう。どうでもいい。
誰の為でもない自分の為に生きる。
子どもも産まない。産みたくない。
本能が衰退する。本能は死ぬ。


脳が発達すると私たちは滅亡する。


理想はこうだ。
小さな島で、小さな部落で、家族と、朝日とともに起きて、火をおこし、魚を取って、
みんなで分け合い、知恵を絞りあい、日が暮れると眠る。
そのような原始的な暮らしである。
日々に意味はなく、やらなくてはいけない事もなく、
動物に近い暮らしだ。
それはそれは過酷な暮らしだろう。
そんな風にして人間は無いものねだりをして、現実から目を背ける。
それこそが不幸せの元凶なのかもしれない。